卒業まで残すところ”8”日
ということになりました。もう気付けば卒業なわけです。3年間色んな事があったけど、とりあえずなんとかここまでこれたようなきがします。今まであった出来事の中で一番印象に残っていることは、やはりこの地域で行われた"矢田の祭り"というイベントに出ることができたことです。そのため、ってわけじゃないですが、ちょうどそういう風に思っていた頃に、ブレイクダンスというダンスに夢中になっていました。それを、俺はいつのまにか『3年生になってから最後になにか思い出を作る』というテーマに当てはめて、矢田の祭りでブレイクダンスをやることになりました。最初は結構順調でした。メンバー集めをするときは、俺が所属していたサッカー部の中からやりたい奴に声をかけたりして、結構簡単に集まったし(9人)、教えてくれる人もちゃんといた。(俺の兄)まぁ練習場所は近くの小さい公園で、ある程度の基礎をやりつつ、本番まで7ヶ月間ある、という安心感のなか練習していた。後のことはどうなるかも知らずに・・・練習も順調に進んでいく一方、徐々にメンバーがやめていった。9人から6人、6人から4人・・・沖縄に修学旅行に行ったときに、ヒイロがやめる、ということを始めて聞いた。そのときは結構普通にショックを受けた。どんどん減っていくメンバーに焦っていたし、自分から持ち上げたことの重大さを考えたりもした。なにしろ、俺たちはみんな受験生だったので、本当はこんなことをしている暇は無かった。なのに、練習するとちゃんと一緒に横にいる奴。そいつらは、マジでいい奴だと今思っている。(ヒイロは別の夢を見つけたから良いよで、ちょっと危ないと思ったときに、長居で一緒に練習していた人たちに声をかけてみた。久保君、桂輔君、あと色々・・・後に、奴が・・・まぁその話はいいか。気付けばもう1ヶ月前と迫っていた。その頃に、やっと矢田の祭りの出演受付が開始した。最初は緊張しながら受付場所に行ったけど、中にいた人はかなり優しくて、安心して登録できた。振り付けも徐々に決まっていって、やっとみんなで練習できる、と思ったら、今度はメンバーがちゃんと集まらない・・・。これには本当に困った。なにしろ、本番2週間前となっても、ひとりまったく来ない人がいたから。みんなもあきれてて、もうその人抜きで行こう、とかも言っていた。でもやっぱりそんなわけには行かず、ちゃんと6人で出演することになった。本当に楽しかった。ブレイクダンスというものに出会えたのは、奇麗事ではなく本物の運命出会いだったと思う。これからも、ずっとダンスをしていきたいです。というか、ほとんど矢田の祭りの話になりましたけど。。。l冫、)ジー |)彡サッ((実は、これは卒業宣言の練習だったりします。