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カテゴリ:ヨシナシゴト
ワタシの母の実家はちょっとした旧家でしたが、200年以上に渡り男の子が生まれませんでした。7代だか8代だか続けて、娘にムコ養子をむかえてきたということでした。明治に入ってからは、曾祖母とその前の祖母様は子どもができた時点で配偶者を追い出したらしく、私たちは祖父様たちの名前すら知りません。母の父も、ムコ養子でした。伯母(母の姉)も家を嗣ぐべくムコ養子をもらったそうなのですが子どもはできず、戦時中のゴタゴタの中、他の女性を好きになられて離婚する羽目になったということでした。ワタシの父は3男でしたので、ムコ養子になろうかとしたらしいのですが、父の母が頑強に反対したとのこと(ワタシの両親は幼なじみで、恋愛結婚に近かったようです。母の家はそこそこ資産のある士族、父の方は炭焼き職人から侠客を経て八百屋になった家でしたから、戦前ならばありえない縁組みだったのではないかと思います。)。伯母も再婚したものの子どもに恵まれず早逝し、ワタシには男の兄弟はできませんでしたので、結局、母の実家は祖父の代で廃絶しました。
で、ワタシが長男を産んだときのこと。母、ワタシ、妹と、女の中に男が一人という状態で30年も過ごしてきた父は、まったく単純に男の子の孫ができたことを喜びました。孫を相手に相撲をとったりチャンバラをしたり、魚いじり(父のシュミは錦鯉のブリーディングでした)をしたりという、男の子的な遊びができるようになるのが嬉しくてならなかったのだと思います。父はいくつになっても子どもっぽいヒトでしたから。「おっとこのこ!おっとこのこ!」とルンルンしながら、産後のワタシの足腰をさすってくれたのを憶えています。次男の生まれるときも、「オマエの子はおっとこ!オマエの子はおっとこ!」 と口ずさんでいましたっけ(妹のところは女の子ばかりなのです。)。4月になると早々に、ばかでかい鯉のぼりを上げ下ろししていた父を見たら、すごい父親孝行をしてあげた気分になりましたよ。 でも、ある親戚のオバサンに「あんたは男の子を産んだんだからね。誰にも気兼ねせず大いばりできるんだからね。」と言われたときは、正直なところムカッとしました。いかにも旧態然とした家父長制的男尊女卑って、言い方だったのですもの。 昨今の皇室典範に関する議論。女系天皇は認められないというのは、やはり性的差別に根付くモノだと感じてしまいます。天智天皇・天武天皇の母は皇極天皇で、文武天皇も持統天皇の孫だし、これらの天皇は男系であると同時に女系であるといえるじゃないか、母方に天皇がいなければ即位できなかったはずなのに、などとこじつけたくなります。でも、今の日本の国内には、男系の伝統ナルモノに囚われているヒトたちが、まだまだ沢山いるようです。そんな中で女系天皇を認めることをごり押しで決めても、ご当人となる皇族の女性方がツライ思いをされるだけではと想像されて、本当にお気の毒です。この問題は一世代くらい先送りして、社会全体のジェンダーに関する意識と心情が、より成熟するまで待っても宜しいのでは?もっとも、血筋だの後継ぎだので大騒ぎすること自体がナンセンスになる時代も遠くない気もしますが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.02.07 23:23:52
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