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カテゴリ:楽園に吼える豹
イルファンはゆっくりと足を踏み出し、ユキヒロの方へと近づいてくる。
イルファンとの距離が縮まるたびに、面白いくらいに心臓がはねた。 イルファンは「遊ぼうと」している。ユキヒロを対等な相手と認めていない。 圧倒的な力を持った捕食者が、気まぐれに弱い被食者を弄ぶ―――たとえて言うならそういう状況であった。 「レオン!! 出て来てください! レオン!」 日常生活で大声を出し慣れていないため、ところどころ声が裏返る。 恐怖からレオンに助けを求めたのではなかった。 こんなふうに「番犬」を置いて見張らせているということは、レオンと一緒にいる女性はやはり、一連の事件の背後に見え隠れする謎の女である可能性が高い。 ならば、これ以上一秒でも二人が一緒にいるのは危険だ。 だが、これだけ叫んでも奥の扉が開くことはなかった。防音がなされているのか? それとも―――… (何か、あった…!?) ざあっと、全身に悪寒が走る。 「今はお取り込み中だよ。割り込もうなんて、無粋なことするなって」 イルファンがニヤニヤと笑う。 意識が遠くなりかけたユキヒロだが、イルファンの顔を見て正気に返った。 呆けている場合ではない。 レオンに何かあったのなら、一刻も早く彼をあの部屋から出さなければ。 が、イルファン相手に自分が勝てるのか。 銃は持っていない。 常日頃からユキヒロには銃を携帯する習慣はないが、GSを辞めた今は持ちたくとも持てない。 レオンに勧められて一応護身用のナイフは携帯してきたが、第一線から退いて久しい自分が使ったところで、果たしてどれほどの役に立つのか。 「俺を殺すつもりでこいよ。でねぇと秒殺だぜ」 イルファンの構えはユキヒロから見ても隙だらけだ。わざとそうしているのだろう。 本当に遊び半分でいるらしい。 (迷っている暇はない…! 急がないとレオンが!!) ユキヒロは前に飛び出した。 だが、初めから自身が有する武器、すなわちナイフを使わないところが彼の致命的な甘さだった。 相手の実力を過小評価していたわけではない。 ナイフを使わなかったのは、もう彼の本能の領域に属することであるから、理由をつけようにもつけられない。 ユキヒロの拳はイルファンのみぞおちにヒットした。 辞めたといっても元GSなだけあって、格闘技の基本は身に付けている。 まともに入ったから、「普通の人間ならば」気絶していたかもしれない。 だがイルファンは不気味に笑っていた。 異変は殴ったユキヒロも感じていた。 (か、硬い…!?) 自分が今放ったパンチは、相手に寸毫のダメージも与えていない。 そう確信できるほど、イルファンの肉体は鋼のように硬かった。 「残念でした」 と、左頬に強烈な一撃。頬骨が砕けるかと思うほどの衝撃だった。 ユキヒロはそのまま壁に激突する。骨がミシリ、と音を立てたような気がした。 「…う……」 背中を強打し、息がうまく吸い込めない。 思考も混乱していた。 (あんな鋼鉄のような体……あんなの、たとえナイフで刺したとしてもダメージを与えられるかどうか……! とても人間の肉体とは思えない。それに…この怪力は…) ありえない。ありえない。 朦朧とする意識の中で、そればかり頭に浮かんだ。 それほどイルファンの肉体は硬く、攻撃力は計り知れないものだったのだ。 受けたダメージが大きかったのか、ユキヒロは目の前の相手が人間は人間でもアドバンスト・チルドレンであることを失念している。 不可能を可能にできる存在であることを。 「冥土の土産に教えてやるよ。俺は“アルマジロ”と“灰色熊(グリズリー)”のDNAを持っている。 一種類の猛獣の遺伝子しか持ってない上、たかだかCクラスのお前は、逆立ちしたって俺には勝てねえよ」 「“アルマジロ”と“灰色熊”……!?」 これによって、イルファンの人間離れした怪力と、鋼鉄のごとき肉体の説明はついた。 しかし、二種類の猛獣の遺伝子を体内に宿しているなど、考えられない。聞いたこともない。 「お前らはアドバンスト・チルドレンとガーディアン・ソルジャーがイコールだと思ってるみたいだけどな、俺らとお前らは根本的に違う存在なんだよ。 ピラミッドの頂点に立つのは俺たちだ」 「…………!」 グリンロッドで創造されたアドバンスト・チルドレンに関する資料が、十五年前の爆発事故でほとんど全て消失したせいで、彼らの能力については未知のままであった。 最初に編み出されたキメラの技術は、ユキヒロたちが知らなかっただけで、本来的には二種類もしくはそれ以上の猛獣の遺伝子を人間に組み込むことを目的としたものだったのかもしれない。 (どうする、どうすれば……!!) ユキヒロは背中を壁にもたれさせ、必死に思案する。 防御力、攻撃力。どれを取ってもイルファンがユキヒロを圧倒している。 一方ユキヒロの持ち駒は、お世辞にも屈強とは言いがたい肉体と、貧弱なナイフ一本。 前方にイルファンが立ちふさがっており、レオンがいるはずのエグゼクティブルームはその奥にある。 エグゼクティブルームとイルファンの間にはちょうど右に曲がる通路があり、どうやら非常口とつながっているらしかった。 現状認識をしてみると、改めて己の劣勢をひしひしと感じる。 絶望的だった―――が、ユキヒロの瞳はまだ死んではいなかった。 細い細い希望の糸だ。だが活路が見出せる可能性はゼロではない。 ユキヒロは一瞬だけ天井に視線を遣ると、イルファン目がけて走り出した。 つづく 人気ブログランキングに参加しました。 よろしければクリックお願いします♪(*^▽^*) ↓ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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