思い出の藤井寺球場
近鉄藤井寺球場は大阪球場、日生球場とともにプロ野球の財産だけにとどまらず、長らく予選会場として使用を許されてきた大阪高校球児にとっても懐かしい球場である。 小学生の頃、祖父に連れられ、大阪学院高校の左腕江夏豊の快速球を間近に見たのは日生球場だったし、後年ドカベン香川と牛島の浪商コンビを観たのは大阪球場、そして桑田や清原の勇姿を観たのは藤井寺球場だった。 思い出はさらに続く。子どもたちが小さかった頃、夏になれば自転車にまたがり藤井寺球場までナイター観戦に通ったものである。子どもたちの目的はもっぱら外野席下の通路で開かれている夜店。そこでは金魚すくいにヨーヨー、綿菓子などが軒を並べていた。 もらった金魚を落として泣いたり、綿菓子の綿が食べる前にごっそり落ちてしまい、泣きべそかいたこともあった。 とにかく万年弱小チームで、天気のよい日は近くの大和川からヒバリなどがやってきたりする、のどかな球場、それが私の記憶に残っている藤井寺球場だったが、いつしか近鉄バッファローズは闘将西本監督の元、リーグ優勝を果たす。その後はリーグを賑わし、暴れ出すと、とてつもない力(いてまえ打線!)を発揮する実におもしろい球団となってファンを魅了した。