「スローカーブを、もう一球」
昨日の続きになりますが・・1980年、作家・山際淳司氏の目に留まった投手。。山際氏著「スローカーブを、もう一球」より・・「(スローカーブを投げたときのバッターの表情を見ていると、そのバッターがどんな気分か、手にとるようにわかるんだ)・・・・川端はそう考えている。・・中略・・9回裏、一死一、二塁で迎えたバッターにそのスローカーブを投げたのは、左打者の外角に直球でストライクをとったあとの二球目だった。例によってふわっと弧を描き、スローカーブは外角の低いところへゆらゆらと落ちていった。球審は、その球を最後まで見届けると、うなづくように「ボール」と宣告した。川端はスローカーブを投げたあと、いつもニヤッと笑いたくなってしまう。ストライクが入ったときはたいていそうだ。それは、「やった!」と快哉(かいさい)を叫ぶ笑いではない。ざまあみろと相手を嘲笑する、そういう笑いでもない。ただ、スローカーブを投げたときが、一番自分らしいような気がしている。」この高崎高校は二人の総理大臣を輩出している群馬県内随一の進学校です。1980年、身長173センチ、体重67キロ、少し丸型。オーバースローで振り下ろされた腕が途中でサイドスローになるスリークォーターとも言えない投げ方から球速60~70キロの超スローカーブを投げるエース川端俊介投手によってその秋の大会でセンバツ出場を獲得するのです。勝ち組、負け組と言う言葉があまり好きではなくなった今、野球を楽しみ、勝負にときめき、自我を磨く。目先の名声や栄冠にこだわらない高校球児に私は目を奪われます。さて、今年の夏の高校野球もあと1試合。。。最後にもう一つ、同本より・・「キャッチャー宮下がサインを送ったわけだった。川端は指先を見た。その指の形はこういっている・・・・(スローカーブを、もう一球)」(群馬 桐生・江戸っ子寿司)