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カテゴリ:韓国で暮らす
詩人の茨木のり子さん死去(『朝日新聞』ネット版、2006年02月19日23時56分)
鋭い批評精神とヒューマニズムに裏打ちされたみずみずしい表現で戦後女性の生を歌い上げた詩人の茨木のり子(いばらぎ・のりこ、本名三浦のり子=みうら・のりこ)さんが、東京都西東京市の自宅で死去していたことが、19日分かった。79歳だった。 大阪生まれ。帝国女子薬専(現東邦大薬学部)卒。50年ごろから詩作を始め、53年に詩人の川崎洋さんと詩誌「櫂(かい)」を創刊。同誌にはその後、谷川俊太郎、大岡信、吉野弘の各氏らが参加した。 55年に第1詩集「対話」、58年には第2詩集「見えない配達夫」を刊行した。「わたしが一番きれいだったとき 街々はがらがら崩れていって とんでもないところから 青空なんかが見えたりした」と始まる詩「わたしが一番きれいだったとき」は、戦争に青春を奪われた同世代の女性の思いを代弁、教科書にも掲載された。 韓国の現代詩を読むため50歳でハングルを学び始め、90年に出した訳詩集「韓国現代詩選」(読売文学賞研究・翻訳賞)は、翻訳の枠を超えた仕事として評価された。 99年に7年ぶりに出した「倚(よ)りかからず」は詩集としては異例のベストセラー。「もはや できあいの思想には倚りかかりたくない」と、りんとした表現で歌い上げた。 著書はほかに、詩集「鎮魂歌」「人名詩集」「自分の感受性くらい」、エッセー集「言の葉さやげ」「詩のこころを読む」などがある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.02.20 00:34:42
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