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カテゴリ:韓国で暮らす
韓国に初めて旅立つことが決まったのは、1999年の5月のことでした。
釜山の大学に大学院時代の先輩がいて、前年に「来てみないか」と声をかけていただいていました。 当時は、大学院博士課程の3年目で、ちょうど結婚3年目に入ったばかりでした。 昼は警備会社の社員として、練馬区光が丘にあるM建設の受付をし、夜は板橋で塾の講師をしていました。 その先輩を頼りに、履歴書を送ったのですが、別の教授が出身校の後輩を推してきたので、採用が確実ではなくなった、という状況に。 その先輩に思いのたけを手紙につづり、近所の留学生に韓国語に直してもらって、ファクスで送りました。 その結果が出たのが、1999年の5月でした。 ちょうどその頃、恩師が済州島に行かれていました。 写真家でもある恩師がとらえた「済州島にかかる虹」が、ある機関紙に載って板橋の家に届いたとき、勝利の虹に見えたことを鮮明に覚えています。 すぐさま、恩師に勝利の報告に伺いました。 あれから、もうすぐ7年目に入ります。 日本と韓国に架かる七色の虹のような存在になっているか? 細かいところを見ると穴があったら入りたいような失態を演じていますが、大目に見てやると、一つ一つを繕いながら、いい方向に向かって軌道を描こうとしているように感じます。 希望、喜び、怒り、悲しみ、苦しみ、再出発、感謝、複雑な感情が織り成す7年間、まだまだ始まったばかりだという気もします。 第二の7年は、すべて今この瞬間にかかっていると心得て、楽しく愛のいっぱいこもった7年にしていきたいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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