| 新庄選手の背中に「俺らしくいくばいっ」のメッセージ=9月27日、札幌ドームで |
「今日、この日、この瞬間を心のアルバムに刻んで--」。日本ハムの新庄剛志選手がレギュラーシーズン最後の引退セレモニーでTシャツの背中に書いたメッセージには、どこか詩や歌詞のような趣があった。サッカー元日本代表の中田英寿さんも、「人生とは旅であり、旅とは人生である」と題した一文をウェブサイトに残して旅立った。最近、詩のような文章を書き残すスポーツ選手が目立つ。そして、もっと身近な場面でも。人々は、なぜ今、「詩のようなもの」を求めるのか。 詩や歌詞を思わせる一文を残す人は、ほかにもいる。巨人の桑田真澄投手が球団サイトに載せた「お別れ」という文章は「たった一度の野球人生を、大切に、そして誠実に生きたい」だった。小泉前首相もメールマガジンで、「ありがとう支えてくれてありがとう 激励協力只々感謝」と心境を七五調で表現した。 月刊誌「現代詩手帖(てちょう)」(思潮社)の高木真史編集長は「詩は自分の呼吸で作る。最後に自分そのものを残すには、とても適した表現ではないでしょうか」と考える。 「言葉によって日常性から飛躍する瞬間があれば、どんな形でも詩の仲間」と高木さんは詩を定義する。 そんな、日常から立ち上がる「詩の仲間」に魅了された人もいる。 スプレーで落書きされた「夜露死苦」の4文字。 編集者の都築響一さんが「過去数十年の日本現代詩の中で、これを超えるリアルなフレーズを書けた詩人がいただろうか」と評する一編だ。 駄菓子屋で売られているおみくじの「点取占い」に書かれた言葉、「雨の降る日は天気が悪いとは知らなかった 1点」「グッときたね 9点」「どんはしってどこえ行くかわからない 3点」や、暴走族の衣装に縫い込まれた刺繍(ししゅう)の言葉、「仲間と共に命を張って 派手に舞います暴走街道 喧嘩(けんか)上等暴走一筋 我ら無敵の愚連隊」。都築さんは、こんな市井の人々が生み出す詩を探し集めて、著書の『夜露死苦現代詩』(新潮社)にまとめた。 「ほかに表現方法を持たない人たちが、一番身近な手段として言葉を選んでいる。彼らにとって大切なのは、質でも世間の評価でもない。自分にどれだけ響くか、です」。だから、スポーツという場を持つ選手たちの言葉には「PR活動でしょ」と厳しい。 コンビニの前でたむろする若者も詩に向き合っている、と都築さんは指摘する。ヒップホップ音楽の流行でラップを作るために韻を踏みながら言葉を紡ぐ。携帯メールでインパクトのある短い文章を打とうと言葉を吟味して親指を動かす。「これを創作と言わずして何と言う」となるのだ。そして、「プロがみんなの気持ちを代弁できなくなり、素人が自分で詩を作るしかない」とも。 ネット詩人やストリート詩人、様々な形の詩人が登場している。9月に開かれたアートイベント「GEISAI♯10」でも詩を見せるブースに見入る人がいた。 現代詩手帖の高木さんも10~20代の若者の詩に勢いを感じている。「今は情報化が進み、何でもデータ化される時代。文学でさえあらすじで読むシリーズが出るほど。息苦しさを誰もが感じているだろう。そんなとき、要約のできない詩が意味を持って見えたり、必要と感じたりするのではないでしょうか」 詩人の松井茂さんは、詩を「見たり、聞いたり、感じたり、思ったり、考えたりしたことを、かたちにしてリズムにすること」と言う。松井さんの代表的な詩は数字が並ぶだけ。自分でさえ答えを持っていない暗号だ。でも、「そこに何か意味を見いだしてしまうのが詩」とも言う。 「心は自分でもとらえどころがないもの。なにか、かたちに流し込んで、見えてくるものがたくさんあるのです」 松井さんが挙げる、詩人の手によらない上質な別れの詩は、マラソンの円谷幸吉選手が68年に記した遺書だ。「美味(おい)しうございました」のリフレインは美しく、かなしさと痛みが、今も色あせない。お別れにその一節を。 「父上様母上様、三日とろゝ美味しうございました。干し柿、もちも美味しうございました」 |