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テーマ:心の病(7315)
カテゴリ:思索
5年ぶりだろうか…いや9年ぶりだったかもしれない。 音信不通となってしまった朋友と連絡を取ることができたんだ。 僕にとっては大切で大切で仕方がない人だったんだ。 . まあ、ある意味有名な人ではあるだけど… だって、あの巷に溢れているオウムアニメのほとんどは彼が手がけていて、彼の絵は世界中の人が見ているわけだ。 . メディアに前面には絶対出てこない人だけど、彼もまたダークサイドを知る貴重な歴史の生き証人なんだ… 彼もまた全くの冤罪で、とてもつらい思いをしている。 . 彼の立場では知りもしなかったサリン製造に関して、<知っていたこととして>供述しないと、拘束を解いてもらえなかったという強引な取り調べを受けている、悲劇を持っている人なんだ。 . 暫くは、世の中を本当に恨んでいて…僕以上に暗い人を、こんなに間近にみたのは初めてだった。 . . 今日は一日中、彼と話していた。 . 互いに携帯が変わったり、メルアドが破棄されるなどして連絡が取れなかったんだ。 互いに数年間は、オウムの事を忘れたかったんだ…悲劇な思い出しかない事件だし… しかも僕は、TwitterやFaceBookなどやっていないし、やるつもりもないし、他で発言することもないから… このブログという聖域で<リトリートに入るような>思いでしか発言はできない。 . それだけデリケートな話をしているんだ… 親族にも来てもらいたくない…正直言って。 僕は、ここには、現実世界の自分の最も大切な人でさえも、寄せ付けていない…僕はEili もし、この場所に気づいたのであれば…君にはそっと去っていってもらいたい。 . もうここのブログで語る次元の話は…そういう日常の平安な世界を逸脱してしまっているから。 沢山の人が実際に亡くなったから… 僕は間接的かもしれないけれども、友を殺したから… . 寂聴さんから昔言われた言葉があるんだ。 . 「あなたは、生きながら死んでいるのよ…」 . それは、心臓をえぐるほど、核心をついた言葉だった。 僕はかろうじて現実生活を勝ち取り、片隅で生きているのだけれども、死を見つめながら生きている。 . そうすると、自然に一瞬一瞬がかけがえのない時間に変わるよ。不思議なことだけれども。 人を愛することや、一期一会の出会いですらも…なんて貴重なことだと切実に、切実に感じられるよ。 . 彼は僕と同じで、あの7月6日以降、13人の死刑囚のことばかりを考えていて、潰れそうになっているんだ。 もう5ヶ月も経つというのに…一斉に執行され、誰も残っていないんだ。朋友だったあの死刑囚達は… . その気持を共有できるのは、僕しかいないんだ…といって会いに来てくれた。 . 正直深すぎて、ここにも公開できないよ… 全く報道されていないことだけれども、何人か自殺してる元信者も出ていたし、特に皆脱会後の数週間が精神的にやばいんだ。 女性元信者だって、一旦は浮浪者まで落ちながら復帰しているような人も結構いるし、本当に世間やオウマーの人たちがお気軽に話題にしているのを見ていると、悲しくなってくる。 . みんな上祐のような生意気な人たちがオウム信者だと思われているけど、繊細すぎる人は、たとえ自分がしていなくとも、 自分のかつて存在していた団体がサリンを生成し撒いていたなんてことは、…到底受け入れられないんだ。 そんなとこに居てしまった自分自身を、他ならぬ自分自身が許すことができないんだ… もう…自分なんて生きていちゃいけない…て思いつめてた人も中にはいて、そういう弱者は声もなく浮浪者となり、病気になって死んでいってるんだ。。。 . 僕も実はちょっとだけ浮浪者の時期があるんだけど、決して野田さんのお世話になんかなりたくないよ… 彼があの頃近寄ってきたら、悪態つくだろうね… 教団に居た頃の彼にはいい思い出は何一つないし…でも彼も変わったんだろう。優しい瞳になってきたよ。 . あれから何年も経過したのに、この2018年は、僕たち元信者の記憶をまた、当時に引き戻してしまったんだ。 この影響を受けて、言葉を発しない沈黙の人たちに、僕は語りかける。 . 僕らの経験したことは、本当は一冊の本にまとめたい…歴史に刻印したい。 この悲劇を乗り越えるための資料として… (どなたか、僕のブログを一冊の本にして頂けませんか…詩だけでも掬い取りたい) . でも、語り落とした後は、もう、この世界に存在していたくないんだ…本音を言って そのくらいの事をしでかしてしまった団体だよ… 生きていていいのかね…僕たちは、実際問題 サリンだよ…毒ガスの…ヒトラーも使うのを躊躇った… . ああでももう、これで日本の記憶の中から消されていくんだよね…13人が執行されたことによって サティアンの残骸すらないし、みんな忘れたがっていて、悪い思い出は、日本の記憶から排除されていくんだ… . 役目を終えることができるかもしれない。 . 大げさな表現に聞こえるかもしれないけれども、僕が本質的な事を匂わしながら、まだ触れていない事柄があるんだけど、 僕はそれを言ってしまったら、もう自分の生を閉じてしまいたい…とさえ想う でも、同時に誰かがやらねば…とも想うし、 上祐さんたちが、くだらん集いで自分達の存在をアピールしている実態にやるせなさを感じてならないし… . それでいて、僕らはあのときほど、真剣に生きたことはない やがて訪れると言われた破局前の救済という物語にまんまと人生を奪われた…両親と縁を切り、全財産お布施 ...愚かだよね…全く僕たちは . 今の生活を維持するための仕事に関するモチベーションや 生と死に関する話題の重さからくるタブー 真に宗教的哲学的な話の一切ができない現実生活の中で、何か充実感が生まれないんだ… . . . 13人の死刑囚達の事を考える時、ごまかしなく虚構でない世界の本質を見ている気がするんだ。 人生の縮図を、だから、僕は彼らの事を考えることをやめる事ができない。 . . . Eili ...
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最終更新日
2018年12月10日 23時49分59秒
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