|
カテゴリ:宗教文化
. . 教会の事を触れてしまったら、色々思い出してきてしまった。 . 極度の潔癖は、破綻してゆく… 今生学んだ真実だ。 . 仮にもし、再度死と生の繰り返しに突入してしまったとして、真理を求めた際 仏教やキリスト教に出会い、改めて体験したとして、どうなるだろうか… . まさにその時、一番注意深くならないといけないだろう。 清廉さの陰に潜んでいる悪魔がいる。 まだ煩悩にまみれているほうが安全だと言える。 煩悩による過ちなど、たかが知れている。 . 問題は潔癖さを求めすぎることや、純粋な境地のほうが、踏み越えてしまいがちだということ。 この落とし穴に気づくことは難しい… . 嘉浩君は、気づけなかったのだ。 僕だってそう…そちらの道のほうが遥かに意義深い生き方なのではないだろうか…と思ってしまったんだ。 . フィレンツェでは、ルネサンス時代、ジローラモ・サヴォナローラ という一人の修道士が現れた。 この人物は興味深い。一言でいうと、ルネサンス文明を終わらせようとした人 . 彼の説教を聞いて、あの有名な画家であるボッティチェリは、自分の絵を焼き払ってしまっているのだ… とんでもない文化遺産の喪失を招かせた人物といえる。 . 当時のローマ法王は、腐敗の代名詞とも呼ばれるボルジア家出身の枢機卿が就任していた。 それでもローマ法王だ。その彼を公然と批判した修道士、それがジローラモ・サヴォナローラ。 弁説は麻原なみだったと思われる… . この時期、富と栄光を一身に集めたような都市フィレンツェは、見るものによれば、堕落の街に他ならなかった。 ちょうど80年代のバブル全盛期に、それらの浮かれた風潮を全否定すかの如く、オウム真理教が生まれた。 . それを彷彿とさせるモデルがヨーロッパにもあったのだ。 僕はまず、フィレンツェの街に降り立った時、 ダンテの生家跡地、 サンタ・マルゲリータ教会を巡った後、 ダンテが恋人のベアトリーチェに出会って一目ぼれしてしまったと言う橋を見に行き、 (まあ、僕も好きだよね…こういうの、知りたい人は教えてあげてもいいよ…) その後、サン・マルコ教会に立ち寄った。 . 確か教会内部が美術館になっていたと思う。 美しい教会で、当時の彼の書斎までそのまま残されていた。 . 広さで言って6畳の間取りにも満たない狭い部屋から、彼はフィレンツェの街を見下ろし何を感じていたのか思いめぐらせていた。 このゴージャスに美しい街を、腐敗、堕落と感じていたのだ。 . 彼は、最後にはヴェッキオ宮殿前の広場に連れていかれ、火刑に処されてしまうのだが… 意思をまげない人物だった。 . 歴史上、このような人たちが何人か立ち現れては消えて行っている。 当時の風潮そのものをたった一人で破壊し去るほどのエネルギーを持ち合わせた人物だ。 . 興味深いとはいえ、ちょっと遠慮したいタイプ… . . . Eili ... .
. . お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年02月10日 22時56分41秒
コメント(0) | コメントを書く
[宗教文化] カテゴリの最新記事
|
|