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カテゴリ:博物館などの記録
青森の縄文遺蹟群の企画展だったが、入場無料だったそうだ。
なんと、この遺蹟群を世界遺産に登録申請するそうだ。 石見銀山のこともあるが、しかし今回の遺蹟って建物も碌に無く溝や穴だけでそれらしいもの、つまり土器の破片や麻布の切端、骨や塵芥ぐらいしか見付からない。 殆んど後世の人間が後付けで想像に任せて作った様なもんである。 あの竪穴住居は。 残念ながら、我が国に古いと言われる縄文文化が栄えていても、世界を驚愕させるようなものではない。 そこは新大陸のインディオ文化と肩を並べる程度である。 年代も同じ。 縄文文化が最近の概念として生まれたのは、考古学の飽くなき挑戦と粘着質の賜だからである。 インディオ文化の建造物が世界遺産としても注目されているのは古の文化が今に至るまで継承されているからである。 縄文文化は弥生時代で断絶している。 ただ掘り返しただけで世界遺産登録とはおこがましいにも程がある。 復元遺蹟は尚更だ。 インチキだ。 殆んど「おらが村」で金集めのためのパフォーマンスだ。 それでも、寂れる地方が生き残る手段はもう出尽されているからこういう方法しかないのも悲しいかな事実だ。 白神山地も世界遺産登録されているが、そこの地域のみが指定され、その外側のはみ出た部分は相変わらず開発が進んでしまっている。 こんな姿勢だから、疑われてしまうのだ。 偶々、石見銀山はギリギリセーフだったが、他は如何にして滑り込んで行くんだろう? そうした文化遺産を保護するのに金が掛る筈だ。 登録申請する前に干上がってしまって結局は遺蹟を潰さざるを得なくなるのだ。 ただでさえ補助金漬けなのに、それでどうやって回収するのだ? 赤字になってまた、どこぞの市民団体からどやされるに決まっている。 まあ市民団体とは言え、世界遺産と言うお墨付きがあれば平伏すに決まっていよう。 今回の企画展示のパンフレットやポスターの傍ら、青森の祭り、観光、林檎などの特産品が紹介されていたのが何とも言えず悲しゅう思いがした。 結局、今世の文化と大昔の遺蹟に基づく文化が繋がらないのだ。 ギリギリ古墳だろう。 青森は東北即ち陸奥だから蝦夷の文化と俘囚文化からの継承しか確認出来ない。 たとえ、そこが古の交易中継地だとしても、千葉の貝塚遺蹟群と同じで全て中途半端に終わってしまっている。よって、そんなものは世界中探そうが何処にでもあるからそこまで大層御立派と言う訳じゃない。 偶然にも、土器が溶けずに残っていたために、注目されるようになっただけのことだ。 色々分かってきてはいる。 最早文明と言うよりも、集団社会秩序を知る上で考えさせられるものだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.10.29 04:39:13
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