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2007.10.03
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カテゴリ:博物館などの記録
別に報告する義務はないのだけれども、行って来たのに何の音沙汰なしじゃあ、気が済まないので報告しましょうかね。

さて舞台はビザンチン帝国を追っ払ってアナトリアと南欧バーバリ中近東を800年もの間支配し、君臨したオスマン帝国となる。

トルコじゃないんだねえ。

なぜか、トルコという呼び名は外の人間が言ったものだからである。
恰かも嘗ての「倭国」であるかのように。

ちなみにチェチェンも他称である。

それはともかくとして、現代トルコとオスマン帝国とじゃあ随分と開きがあったようだと。

文字は現代ではローマ字を元にしたトルコ語だが、帝国のあった頃こそあのアラビア文字であった。
皇帝、取り分け歴代スルタンの印である花押なんかは燭台か鳥のようなデザインをしておりこれもまた、細工も見事に凝らされていた。
このことから、アラビア文字が基本だったと言うことは、極めてナショナリスティックのトルコ語でもなく、世界言語的なちゃんぽん言語のようだった、らしい。

それがオスマン語と言われていて、凡そ現代トルコ語とも似ても似つかわしくないそうだ。
構成はアラビア語やペルシャ語やらトルコ語の上ギリシャ語まであらゆる言語が混じっていたそうだ。
だからこそ、現代トルコ語とオスマン語では通じないらしいのだ。

翻って、我が国も他人事でなし。
元々土着倭人語の上に呉音漢音唐音や百済語・新羅語・三韓言語や高句麗語やらサンスクリット語やパーリ語とかイベロ言語などがごちゃ混ぜになって培って来たのが明治以前の日本語ではないか。
そもそも当時の人が「日本語」って言ったのかどうかも怪しい。

話を軌道修正して、鐘紡がスポンサーだけであって、装飾品や化粧品やらの紹介に重点が置かれていた。
服飾も意外と鮮やかなのである。
ヨーロッパなんかは寧ろみすぼらしいんじゃないかと。
絢爛豪華、美目秀麗、あらゆる賛辞を投げつけてもその言葉が陳腐なものになり下がるくらいだ。

今回のメインの展示に、我が国の悠仁親王殿下の御生誕を祝うために送られた(この字である)揺籃があった。
なぜかというと、オスマンの習わしでは王子誕生の折り、揺籃を贈る伝統があるそうだと。

しかしこの揺籃はすごいな。
黄金の輝きを放っているよ。
落ち着いて眠れやしないかなあ…?

オスマンの皇族はそれぞれ技能を身に付けていたそうだ。
失脚しても食っていけるような配慮だと。

我が国の皇族が教養を携えるのと同じか。
イギリス王族が兵隊に出る感覚と似ているな。

しかしこの図録の薔薇の香りがちょいキツイ…。






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Last updated  2007.10.29 04:33:58
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