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カテゴリ:CLANNADを観て聴いて感じて思う事。
風子ルートで七話目に突入しちゃいました。
まだまだ風子ルートで暫く続くんだろうなあ。 今迄の鍵作品の王道的パターンを地で行く感じを遂行していると思う。 渚と風子のしょうもないだんごヒトデ論争が我ながら受けましたね。 渚がだんごの歌を歌い始めたら風子が負けじとヒトデの歌を歌って、それを渚が「パクりじゃないですか!」と風子にもの申すのが面白い。 漫画では風子エピソードが創立者祭の後に始まるが、こちらは同時進行である。 アニメはどうやら部分毎に分けて各々のキャラクターを中心にして話を独立させているようだ。 このアニメはゲーム準拠にしてるようだなあ。 このアニメを製作する監督は原作ゲームを愛しているようだが、多分全てのシナリオが好きなんだろうなあ。 だけど、『ひぐらしのなく頃に』じゃないんだから一本道のストーリーに独立させた状態のエピソードを組み込むのは無理が有り過ぎるよう。 原作ファンに嫌われないように、こちらの場合は原作好きなのかもしれないが、原作通りにすると…どうなるかは…自ずと判る筈だがなあ。 漫画(または文字だけの文芸作品)やゲームやアニメ、映画ではそれぞれ仕様やキャパシティが違う。 漫画は掲載ページやページ毎の齣や絵と台詞の限界がのしかかる。 文章は文字通りで言うまでもない。 それぞれの持ち味で表現出来るフィールドがあるのに、そのままのスタイルを持ち込むと違和感を感じるのは当然ではないか? そういうことが分からずに文句ばかりいうのも如何なものか…というのはおいといて。 乗る路線は違えども目的地に辿り着ければいいのだ。 恰かものび太の不幸な未来を変える為にやって来たドラえもんのように。 劇場版とTVアニメ版は判で捺したかのような諍いがあるが、全く意味のないことだ。 劇場版とて作品の世界を理解している。 さて、アニメはどこまで出来るかどうか、我慢しながら観ている。 学園じゃなくて、本当はアフターストーリーが重要なんじゃないのかと。 だったらアニメオープニングに出て来たあの青く小さな影は一体なんなのか。 もう七話も過ぎて、恐らくは十二話は学園ストーリーで行くんだろうが、他のヒロインを一話完結にするのか? 杏、智代、ことみ、有紀寧…態々朋也が寄って搦む必要もないような二人も含めて最低でも四人は居る。 どうするんだろう? 一人二話消化していくだけで、残りのアフターストーリーが圧されてしまわないだろうか? そんな心配する必要もないか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.01.17 02:27:11
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