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カテゴリ:CLANNADを観て聴いて感じて思う事。
汐の衰弱振りが気になる。 今回はそれに集中した感じだ。 衰弱振りは正に青天の霹靂である。
前兆を噛ますのがこのアニメ(京アニ)の特徴なのだが、それさえ掴ませればどんな急展開も許されるのだろうか。
汐の様子が前回からおかしい。 渚と同じ病気だと言う。
しかし、渚の場合は、理解できる。 幼い頃に風邪(町と呼応する病なんだけど)を拗(こじ)らせて寝込んでいるところに、父母が外出してしまってほったらかしにしてしまった事による。 その所為で渚は常に季節の変わり目に体調を崩すのである。
渚が死んでしまうのも、そうした経緯があるからだ。
汐だけはどうも納得はいかない。 何で急に倒れるんだ?
そんな事を考えるのは抜きにしよう。 合理的に考えるんだ! 合理的に考えたら漫画の目玉は存在しないのだ!
恐らく渚と同じく、遺伝する病かなんかじゃないのだろうか?
汐の容体は日に日に悪くなる一方である。 AIRの観鈴ちんとKanonの真琴の様なパターンだなあ。
「普通の娘じゃ駄目なのかなあ?」 ヤンデレ芙蓉楓がそんなこと言ってたかな?
自分より弱い子を愛おしく思うと云う風に植え付けさせるシステムである。 でも、自分の手では如何する事も出来ないので、このゲームは基本的に放置プレイである。 朋也自身は環境が変化して行く事を酷く厭う。 自分では如何する事も出来ないと言う事は、自然には逆らえないと言う事である。 自然の変化と人が集って変化を起こす環境は同じである。 大勢の願いで誰かが犠牲を蒙ると言う事だろうか。 キモオタ共は被害妄想の塊だから朋也に同情するのだろう。 朋也はメランコリーではあるものの面持が良いから、少しでも良い立場へと移入させるように仕向けさせられている。 しかし、このコンセプトは運命を受け入れて前へ進む事だ。 人の死を扱う事は余りにも極端だが、その為に少し食傷気味であるものの、こう言う止め処無い変化が有ると云う事を人は受け止めねばならない。 アッキーは「人は変わる事を嫌がるから病院を作る」と言ったが、蓋し名言である。
人は、変わって行くものだが、今ある物が変わって欲しくないと言う願いがある。 便利になる分、不便になる事もあるだろう、て事はこのアニメには無いな。
何故、朋也を最低親父と評したか。 最低と言っても、病み衰えて行く汐に仕事辞めて迄も付きっ切りで居たから心身は相当参っている事だろうから、まだ許せる。
自らを追い詰めた感じだ。 困窮しても親父らしい振る舞いをするから、蓄えも底を尽き自身も衰弱させてしまう。
矢張り、汐の父親として振る舞おうとして無理が祟ったのだろう。 その結果が、病んでいるにも拘らずに汐の我儘に屈して外に出してしまった事だ。
ちょくちょく古河家に顔を出して生活指導?を受けていた。 それでもいいんだが、結局死せる渚に請願してしまう有様なのだ。
助けてくれって、セカチューかよ。
お前が死なせたんだろうが! そういう意味ではセカチューよりも悪い。
娘の生命の危機と、懇願を天秤に掛けるか? 折れてしまったのは、毎日聞かされるうわ言と、栄養不足による衰弱だろう。
元気になったら行こうなって言っていたが、薄々感じていたのだろう。もう駄目だろうと。
それでも、最低親父と評するのは、嫌いな街に頼らず自分一人の手で何とか出来ると言う痩せ我慢をした事によって最も大切なものまで喪わせた事による。
降り積もる雪の中で親子二人は倒れるが、ことみの言うもう一つの世界へと場面は移る。
もう一つの世界は、パラレルワールドね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.03.06 04:25:55
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