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カテゴリ:博物館などの記録
江戸東京博物館で開かれていたモンゴル展だったが、騙された! チャイナ謹製のモンゴル展だった! ついったーでも書いたが、最近のチベット展の様な嘘出鱈目の展示だらけだった!
何故、チャイナ謹製の癖してモンゴル展なのか。
実はモンゴルとは、以前にも書いたのだが、国を幾つにも分割されているのである。 朝青龍や白鵬、日馬富士の出身国で有名なモンゴル。 凡そ百年前に独立した国である。 そのモンゴルの北にあるロシアに属し、バイカル湖を囲うブリヤート共和国。 モンゴルの北西に位置する、トゥヴァ共和国。 このトゥヴァ(本来の発音ではトィワー)は元々蒙古に属していた。
※モンゴルと書くと、広義のモンゴル、それはモンゴル諸国並びにモンゴル系諸民族の住む地域、そしてモンゴル帝国に属していたトルコ系民族まで指す事になるので、モンゴルを便宜的に蒙古と書いたり、モンゴル国と書いたりする場合があるので一応使い分ける事にする。
そんで今回の何が問題かと言うと、モンゴルと銘打ってる割に、舞台は内蒙古、南モンゴルなのである。 南モンゴルは、チャイナに分割占領されており、現在は内蒙古自治区とされている。 国民党時代の支那は最悪だった。 モンゴルの名は無く、幾つにも分割されていたのである。 民族識別工作の甲斐もあって、チャイナの中にモンゴルが存在すると言う事を世に知らしめる事が出来たのである。
因みに、逸れモンゴルのレーニンのご先祖さんが住むカルムィキヤ(ハリムグ)共和国がカスピ海辺(ほとり)に存在する。 トゥヴァは因みにトルコ系の民族なのだが、モンゴル帝国に服属してモンゴル化した国である。 モンゴル人とは、基本的にラマ教(チベット仏教)を信奉する国である。
さて、前置きは此処迄にして、展示が出鱈目なのは言うまでもない。
キャプションのチベット地区ってなんだよ。 モンゴルがどうせ独立したからモンゴル地区とは書けないんだろうが! チベットだって、モンゴルと一緒に独立したんだぞ。 同じく1911年と考えるべきである。
独立したぞと言う事をもっとアピールしておけば、曖昧模糊にならずに済んだのだが。
展示はやっぱりモンゴルに因む物ばかりである。 当然だが、元々モンゴルだったのであり、内外のモンゴルと密接に関係する物ばかりである。
地域によって、モンゴル各地の人々の衣裳の差がある。
悔しいかな、南モンゴルはチャイナに同化寸前なのだ。 チベットよりも危機的状況である。 モンゴル人は五百万人。 北のモンゴル人は二百万人だ。 少ないなあ。 人口が少ないのに、独立国をやって来れた理由は、独立時に帝政ロシアが、ソ連時代にはやっぱりソ連が占領支配していたから。 モンゴルは二番目の社会主義国である。
社会主義なら、どうしてモンゴルと共産チャイナはくっ付かなかったのか。 共産チャイナの方が後に出来たからなんだよね。 それで、そのまんまロシア化した儘独立国へ…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.04.14 05:19:13
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