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カテゴリ:さらば、遠き日の思い出よ。
平成23年とは敢えて言いません。 24時間では徳光が走るべきだったのだ。 長嶋茂雄にお守り渡されたり、デストロイヤーやらウィッキーさんが表敬するのは、紛れも無く昭和を象徴する物だったからだ。 徳光は昭和のテレビ放送のキャスターだった。 徳光が走る事で昭和を懐かしむ世代が徳光と共に昭和を振り返る。 プロレス、野球、テレビ…。 何もかも昭和の時代に築かれたコンテンツ。
そしてこの日を以って昭和は終わりを告げた。 武道館で感動の押し売りが勧められたが、一方でお台場では既存メディアに対する抗議活動が行われた。 その数6000人以上。 3万人とも言われるが、大規模であった。 地デジを拵えて国民を籠絡する魂胆だったろうが、ネットがこれだけ普及したのだ。 テレビの視聴率は下がる一方で如何にして金を得るか、そう考えたのが韓流。 此処迄は何度か言ってるので割愛するが、今回は利権にしがみ付こうとする旧勢力VS新たなメディアを構築しようとする世代との対立なんだと思う。
全部繋がっている。 東電も昭和の内に巨大化した企業だ。 テレビも使って自分達が正しい事を推し進めて来た。 哀しいかな挌鬪技もまた昭和と平成と跨ぐ旧世代の脱皮勢力の一つであった。 昭和の時代に肥大化した勢力はここ平成に来て力を失ってしまった。
視聴率も収益も失いつつある益々テレビは糞化するだろう。 昭和86年ではない。 好い加減平成も20年経った事に気付け。 今の団塊世代以上が昭和に浸っているのだ。 韓流も又、昭和の残滓の一つである。
詰まり、今回のは世代間闘争の一つとして捉えられなくもない。 藤原が演じた遺恨ありというドラマがあったが、あんな感じで江戸時代から明治への転換期に於いて時代の流れに順応せざるを得ない様に、人は新たな時代に乗らなければならない。 既存メディアは縮小するだろう。 映画が沈没してテレビが興った様に。 抗うでない。 順応してくしかない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.08.22 03:10:45
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