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カテゴリ:さらば、遠き日の思い出よ。
呟きやブログで菊野はどうすればチケットが売れるかと言う事をぼやいてた。 此れに賛同する人がやっぱり少なからずいるのだが。 果たして其れは正しい判断か? ハッキリ言ってこれは内向けの話。 誰もそんな事を期待しない。 観客が果たして超個人的な事情を慮るのだろうか? 挌鬪技をどう盛り上げるか、其処に主眼が置かれていたのだが、それにはお客さんを多く呼ぶ事でありそしていつの間にかチケットを多く売る事に問題点が移行されるようになって仕舞った。 なぜこうなるか、理由は簡単。 本質から逃げているからだ。 人気恢復、挌鬪技再興はチケットを売る事ではない。 個性を引き延ばして客が離れない様にするだけ。 勝つ事ではない。 勝って当たり前は客の感覚を鈍麻させるだけ。 魔裟斗や亀田がそうさせている。 いざ負けると掌返しの反撥がやって来る。
今の菊野は運営の子飼に成り下がって仕舞い、思考能力が低下している。 いつも同じ所でぐるぐる回っている。 上っ面の事だけしか理解出来て居ない。 ファンに肩組まれた位で苛立つ。 ハッキリ言って修行が足らない。 拳を真っ直ぐ撃つ事だけが修行ではない。 長い人生の中で英雄になる事を発見して行く。
ただ、九州から発信していくと言う事は別に間違って居ない。 だが、人任せ、希望的観測、そればかり。 思考能力が奪われていると、願いは外に有る物だと思ってしまう。 神は外に在ると考えてしまう様な物だ。 次の試合までに発見出来るか?
英雄になりたいんだろう。 英雄とは、人から注目される事他ならない。 方法はどうあっても良い。 自己犠牲とか、アンパンマンとか、正義の味方とか、そんなものではない。 同時にカリスマである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.05.14 03:52:35
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