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カテゴリ:さらば、遠き日の思い出よ。
森光子もいつの間にか死んでいた。 歳には逆らえないのだ。 如何に長く生きようとも臓器等の衰えが惹き起こして、死んでしまう。 三宅の引退宣言から半年、入退院を繰り返していた。 終わり頃の言動の勢いがなくなったなあと感じたり、喋った後は疲れていたようにも思える。 面白かったのになあ。 ポンスケとかポン子とか、悪口なのかどうか判らんが勢いに任せた言い方が常におかしかった。 中川(酒)が失脚した時、全ての酒を割って捨てよと言ってのけた。 残念ながら二人共死んでしまった。 一つの時代が終わりを告げようとしている。 去年の夏の時点で昭和は終わったのだ。 昭和はこうして翳りを見せ始めて隠退する。
第三極も、昭和老人たちの悪足掻きのようにも感じられる。 あれ程馬鹿にしていた「たち日」を「みんなのカルト」が擦り寄ってきたのだ。
馬鹿にしても大多数票だから委ねねばならん。 石原も引退のタイミングを失ってから、具体的な目的も失って、「私」の儘の感情を剥き出しにしてるよう見える。 役人を敵視してるだけで今後の我が国をどうしたいのか「第三極」には見えてこない。 老醜を晒すとはこの事だなあ。 文太菅原が引き際を見極めたが、逆を言えば天変地異に抗えずにそのままズルズルと居着く事となった石原は哀れに思える。 傀儡と化してる。
政策をばら撒く時にどういう物を提示するか見物である。 小澤もその場にいる目的があるのかどうかも分からなくなっている。 無罪となったが、果たして小澤は政治の現場にいる事が相応しいのか? 返り咲いても居場所の無くなった細木数子みたいじゃないのか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.11.16 03:59:36
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