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りゅうさんのブログの[病気に思う]に今の病気に対する不安な心境を正直に書き込んでしまった。
家族が病気になり、心配する立場になって、感じた焦りや他の気遣い。 その中で考えさせられる夫の心境。 家族に心配ばかり掛けないよう強くなれるよう頑張りたいとりゅうさんが書いていた。 私もそう思うけど、まだ最悪な状態だった2004年の6月の発病。劇症化。の時ことが頭に浮かび気持ちのせいりがつかない。―――――――――――――肝臓移植しかなくなるかもと言われるほど悪化したので、一人訳も分からず精神的にも、肉体的にも恐怖のどん底に追いやられた。 担当の医者の配慮のかけらも無い、話し方に不安はますばかりだったし。患者の不安を少しでもくみ取り、分かるようにしようと言う気遣いのない医者にあったのも不幸だった。 原発性胆汁性肝硬変の診断が付くのが遅れたのもあるかもしれない。 ――――.札幌の大学病院に血液検査を出して調べたから―――――― 3回の血漿交換[人工透析]とステロイドパルス療法で命びろいした。 多量のステロイドを投与したことで、幻覚現象が点滴が終わって時間がたってから出たようだ。 印象的なことは、病棟の時計と自分の時計と時刻が違っていたこと。―――――私の腕時計は電波時計だから狂いはないはずなに――――毎夜中時計が示す時刻が違っていたこと。―――――――後他にはノートにその時の感じ方、考えていたことが書き込んであった。 夢の中のできごとのような、気もするが書かれてるから、考えていたことに違いない。 眠れない夜中に、一人鏡を見て、自分は惚けてしまったのではないか?と不安に襲われたのが一番辛かった。 惚けて迄生きていたくはない。でも死にたくないと思ったこともわすれられない。 動けない位重症なはずなのにトイレは歩いて行っていたし――――辻褄が合わないこともあり、 全てがノートに書いてあるわけではないので 思い違いがあるのだがどれが本当だったか今となっては分からない。 点滴のせいで頭が冴え渡ると言うか眠くても寝れなくなる。頭が痺れる不快感。 冷たいものが全身の血管を駆け巡る不快感。 食事の時間におきる吐き気。眠くて寝てしまい食事がかたずけられて食べられず体重が激減し口の中がやせ衰えたのも怖い思い出。 医者が肝機能値の変化や良くなってきていると一言もいわず[具合はどうどすか?]と聞かれてもうまく困ったことをはなすことが出来なかった。 多分、肝臓移植と言うことばから受けた衝撃。 そこまで肝臓が壊れてる映像が目に浮かび恐怖に駆られた。 正確な客観的な話が無い中で、一人悲観的な方へ無意識に自分の体がなっていると思いこんでいたと今になって分かる。 貧血の血液検査がきっかけで、肝機能値が高いので入院し、悪化。 精神的に何の準備もなしにいきなり向かい合うと言うか追い込まれた死か生かみたいな極限の恐怖。 家族も口に出して言わないけど、どれだけ心配したことかと思う。 ステロイドパルス療法が終わったら担当の医者を変えてもらった。………代った医者は肝機能値や治療の変更予定など短時間だが丁寧に話してくれた。……………………だが…プレドニンを減らすのは慎重で まして先回は肝機能値が正常になってもプレドニンがなかなか減らず、減って17.5ミリになっても血糖値が高くてインシュリンを使うことになり退院への見通しが立たず(鬱)状態になった? (鬱)状態に先になったのか?精神不安定の改善と不眠の解消のために使った安定剤や多量の眠剤のせいでなったのかはよく分からない。 神経科の医者は薬を減らしたいと言っても、今は寝るのが一番大事な ことだからと薬は減らしてもらえず、午前中は眠剤でふらふらで寝てしまい何も出来なかった。 今回は眠剤を使うつもりもないし、担当の医者も先回のことがあるので眠剤は使わない方がいいと言った。 先回のことを思い出して整理してるつもりだけどまだ良く分からないこともある。 今後も再燃とかもあるかもしれないし、私ももっと強くなれるよう、 ありのままの自分の揺れる心を書いて、 うけとめつつはきだしながら……無理しないでのびやかに生きて行きたい! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[自己免疫性肝炎入院日記06年2/25~4/12] カテゴリの最新記事
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