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ニッポンとアメリカの「隙間」で、もがく。

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2008.12.06
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カテゴリ:帰国子女
もう35年近く前のことになるけれど、私がおふらんすに6歳から9歳までの3年間滞在したことで現在の自分に影響を与えたと思われること、あるいはただ単に記憶として残っていることを少しずつ記録して行こうと思う。
海外で子育てされている、あるいは子育てされていたお父さん、お母さん、必読ですよ!?(笑)

その第一弾。

私は現地の小学校に通っていたのだが、その当時から親による送り迎えは必須だった。誘拐事件を防止する目的だったと記憶している。親以外の人が子供を迎えに行く時は、親がその旨先生宛に一筆書かないと子供を親以外の人に渡せないルールになっていた。
ある時、母がどうしても私を迎えに行くことが出来なくて、代わりにクラスメートのお母さんに頼むことになった時のこと。
母は連絡帳に「明日は私の代わりに○○さんが娘を迎えに行きますのでなにとぞよろしくお願いいたします」という趣旨の文章を書くことになった。母は学生時代におふらんす語を専攻しており、おふらんすに行ってさらに語学学校に通ってはいたので、全くバックグラウンドのない人よりはおふらんす語は出来たと思うが、だからといって、その時はまだ何一つ不自由しないほど出来たというわけでもなかったと思う。母国語だったら何てことはないそんな短い文章を書くために、和仏辞書を引き引き格闘していた母の姿を私は傍らで見ていた。
そんな努力の末、完成した文章を手に、私は翌日学校へ行ってそれを担任の先生に見せた。それを読んだ先生が、
「何だかずいぶんお堅い文章ね」と、母が書いた文の冒頭部分を声に出して読みながら言った。きっと母の書いた文は「私は私の友人である○○様に私の娘を迎えに行く権限を譲渡します」みたいな感じだったんだろう。
私はその時、何も言わなかったけれど、本当はこう言いたかった。
「私のお母さんはおふらんす語が上手に出来ないんです。でも、私のために辞書を一生懸命引きながらこの手紙を書いてくれたんです。そんなことも知らないで、お母さんの書いた文を茶化すようなことはしないでください」と。
海外に暮らしていたら、自国では何でもないことがハンディになる場面はたくさんある。そして、それは実際に経験してみなければ、現地の人がなかなか想像することは難しい。
大人になって、そんな何でもないことで恥をかくことは情けない。
でも、そうやって親がハンディを克服しようと一生懸命に努力する姿を子供はちゃんと見ている。





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最終更新日  2008.12.07 07:22:16



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