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ニッポンとアメリカの「隙間」で、もがく。

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2009.03.13
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カテゴリ:帰国子女
私はおふらんすから日本へ帰国する少し前から海外子女のための通信教育を始めた。恐らく、私が日本へ帰った時に少しでも勉強に遅れないようにとの親心からだったと思うのだが、私は本当に本当にこれがイヤだった(笑)。私があまりに嫌がるので、そのうち、主要5教科のうち、とりあえず国語だけやりなさい、ということになったのだが、それでも私が泣き叫んで嫌がるので(泣き叫んだのはハッキリ覚えている)、そんなにイヤならもーえーわ、どーせ帰ったら日本の学校に行かなくちゃなんないんだし、と言って、とうとう親が止めてくれた。

日本に帰ったら帰ったで、今度は、私のおふらんす語の維持のために親がいろいろ頑張った。この話は今までに何度もしていると思うが、まず、フランス人の家庭教師を月2回つけてくれ、おふらんすの学校で使っていた教科書を使って読み書きの勉強をさせられた。これはこの先生が日本を離れてしまったことで終了したが、私は日本の学校に馴れるのに一生懸命だったし、一度身につけた外国語を維持することの大切さなんて微塵も分かっていなかったので、これも本当にイヤだった(笑)。そのうち、親が苦肉の策として考えたのは、「おふらんす語の本を一日1ページ、声に出して読む」ということだった。意味は分からなくてもいい、とにかく発音さえ残ればあとの文法や語彙量アップはあとでいくらでもやり直しが利くから、と、1ページごとに10円小遣いをくれるという条件で(笑)始めた。最初はカネ欲しさにやったが、そのうち毎日10円をもらうのが面倒になって、もらうのは止めたけどおふらんす語の本を読むことだけは続けた。小学校4年生で帰ってから、恐らく高校受験ぐらいまでは続けたと思う。

私が親に感謝しているのは、親の先行する心配や過度になりがちな期待より、私の限界を優先してくれたことである。あの時、「日本の勉強に遅れては大変だから」と通信教育を無理やり続けさせようとしなかったこと、あるいは、フランス語を忘れてはいけないからと、私に負担になるほどの方法を強いなかったことを有難いと思うのである。本を読む時に「意味もちゃんと辞書で調べなさい」なんて言われていたら、きっと私は本を読むことさえもイヤになっていただろう。あの時の私に、フランス語を維持することはどういうことか、要するに「発音さえ残ればあとの文法や語彙量アップはあとでいくらでもやり直しが利く」と定義できた親はスゴイと思うわけである。

で、結果として、私は日本の学校に帰って、何が遅れたかというと、理科と社会が意外に遅れた。国語の漢字に関しては、例外なのかもしれないが、もともと本を読むことが好きだったので、おふらんす滞在中に祖父母に本を送ってもらっていたこともあって、ほとんど遅れはなかった。字は汚かったらしく、少し経って担任の先生から、「ずいぶん字が上手になったわねー」としみじみ言われたけど(笑)。そして、主要教科よりは、習字そろばん、さらに、生徒会や学級会などのしくみが全く分からなくて困った。もっと意外な展開としては執拗な帰国子女イジメ(笑)。でも、いずれも親が先回りしたり介入して解決できる問題ではなく、結局、自分がその場で解決して行くしかない問題だった。

おふらんす語に関しては発音だけは今でも残っているし、まあ、世間話ぐらいなら出来る。これもちょうど良かった。大学で少しやり直したし、一時、仕事で使っていたこともあるけど、今は全然使う機会がないんだから、あの時必死にやっていたら無駄な労力だったわけで。でも、今後機会があってもう一度フランス語をやり直したいと思ったら、はるかに有利になるだけの下地は残っている。それに、おふらんす映画を観たりした時に全部は分からなくても、なかなか字幕の翻訳には表わしきれないおふらんす語特有のニュアンスを肌で「感じる」ことができるということは、やはり私にとっての「財産」でもある。

親が子供に対し先を読みすぎて心配したり期待する気持ちは、自分が子供を持ったからこそよけいに分かるけれど、でも、常に子供の限界を把握して妥協することは必要だと思うのである。だから、私は子供たちにやれるだけのことはやるけれど、バイリンガルになることを強要したくない。親子関係、家族関係、その他何かもっと大切なことを犠牲にしてまでも強要するほどのことではないと思うのである。今のところ、ルナの日本語は2~3年遅れているけれど、日本語学校に行くのはとても楽しいみたいだし、オーマやオーパ(私の両親)と話す時は一生懸命日本語で話そうとする。私とも日本語で出来る時は日本語で話す。きっと、この辺りが現時点での私とルナとの妥協点なのだと思う。

それでいいじゃないか。





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最終更新日  2009.03.14 04:11:03



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