20世紀末のキャッチー
本日の1曲:「そして今でも」(Live Version)(田島貴男ヴォーカルバージョン/ピチカート・ファイヴ)今日は日本橋でショッピング。コレドでぼんやりカワイイおもちゃをみて(買わないけど)オアゾでオレンジのエッセンシャルオイルを買う。オアゾの丸善の洋書コーナーで輸入物のカレンダーに強く興味を引かれるものの、その値段が3,500円。カレンダーにそこまで出せないので諦める。ちなみにそのカレンダーはドイツ製で(ドイツ語表記)縦長で、全ての写真が「灯台」をあつかったもの。特にきれいな風景なんかじゃないのに、強く惹かれた原因は何なんだろう。私が灯台を求めてる?いい天気だけどとても冷たい北風に首をすくめる。iPodの私の耳にはでかすぎるイヤホンからずっと耳に心地よいサウンド。溢れるギター、その曲は、ピチカート・ファイヴの「そして今でも」。17歳とか、18歳とか、おそらく、これからの「大人」としての嗜好や動向を決めてしまうようなとても大切な時期に出会ったステキなもの、すてきなこと、はいっぱいある。今でも読み続けている「ダカーポ」とか、今はもうなくなってしまった「オリーブ」とか、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」とか。その中でも、私の音楽の好みをひっくり返してしまったのが、「ピチカート・ファイヴ」現象。それまでどちらかというとヒットチャートのなかの音楽にしか馴染みが無かった私が、そんなものを気にすることも無くなってしまった。そして、どちらかというと自分の身の回りのことに無頓着だったりこだわりがなかったりしたのが、急激に好みが固まり、それ以外のものを曖昧にいい顔したりしなくなった。かわいくて、かっこよくて、どこかせつない、その魅力をどこから伝えたらいいかわからない。8年位経ってるのに未だに上手く説明できないけど、私の好みは、確実に変わった。そんな自分が嫌いじゃない。ピチカート・ファイヴは21世紀を迎えたその年の3月で解散する。解散することがわかったとき、わたしは、「やっぱり」と思った。やることをすべてやってしまった、と小西氏はゆっていたけど、やはりピチカート・ファイヴには20世紀がよく似合う。20世紀の、どこか、もったりしているような、そんな空気。愛ではなく恋、LOVEに命はかけない、そんなライトな内容に、もっと恋とか愛とかじゃない、なんだかよくわからない衝動を加えた、独特の歌詞が、私は好きだった。不条理でオチのないフランス映画に影響されたキャッチーな音楽を愛してた。そういえば、今って、どうしてこんなにラブソングの歌詞が重いんだろうね。歌姫系とか熱唱系が常識になってしまったせいなのかな。そういえば小説も死ぬとか愛してるとかそういうヘヴィーな内容ばかりだ。やはり21世紀になって、あの事件が起こって、戦争が起こって、すべてが変わってしまったのかな。「そして今でも」は初期ピチカート・ファイブの曲で、オリジナルバージョンは初代のボーカル(女性)が歌ってる。しかし、初期の音楽はどこかパンチが無くて、BGMのようで、私はあまり好きではない。あまったるい、午後3時のサウンド、といったところ。それが、ライブバージョン、田島貴男が歌ったら、魔法がかかったかのように、キャッチーでかっこいい曲になってしまったのだ。ライブ版らしい、くぐもったベースの音に、アレンジされたギター、命を吹き込まれたように、いきいきしたリズム。(ちなみにピチカートではベースって結構重要)そして田島貴男氏は、今よりも若くて今よりも高い声で、「ピチカートファイヴ」らしい世界をつくって、熱唱してる。その雰囲気が、冬の晴れ割った空にぴったりだった。なので、今更こんな昔の曲、と思いつつも、私はニューマキシシングルに目もくれずに、ハードリピートでこの音楽を聴いていた。解散したのだから、復活して欲しいなんておもわないけど、ずっと私はたぶん彼らのこと、彼らの音楽が好きだから、彼らの音楽が、どこかで残っていてくれるといい、とだけ思う。18だった私が出会った、すてきな音楽。補足:「そして今でも」の田島貴男氏ライブバージョンは、21世紀になって発売された「BAND OF 20TH CENTURY:Sony Music Years 1986‐1990 」に収録されている。(ピチカートは3代ボーカルが変わってる。初代と2代目の田島まではソニーレコードだった。3代目野宮真貴でコロンビアに移籍してる)このアルバムのタイトルからもわかるように、ピチカートは20世紀というものを強く意識していたのかもしれない。ラストアルバムのひとつまえ、1999年のアルバムのラスト曲「Goodbye, Baby & Aman」では、2代目田島氏と3代目野宮氏の夢の競演(?)ダブルボーカルが楽しめる。この曲で、「Goodbye, Baby & Aman 大好きだった20世紀」と二人に歌わせる小西氏の計画には、「解散」がたぶんあったのだろう。