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カテゴリ:地域づくり
ヘリテージマネージャー実践研修、城下町・登米市登米の町
朝晩まだまだ寒い東北です。 梅はもうすぐ咲きそうですが、桜の開花はまだ先。 春はゆっくりやってきます。
先日、建築士会主催により登米町の古い町並み、建物についての研修がありました。 江戸時代、伊達藩、登米町城下町 江戸時代の町並み、武家屋敷、一般庶民の住宅の区割りがそのまま残る町。
ちなみにここ登米伊達氏と隣の当方の地元、涌谷伊達氏は仲があまり良くなかったのです。 江戸時代、沼地は水田開拓されて、こめが増産されています。2つの伊達の間は、広い湿地帯。蕪栗沼はその名残。土地争いが多発していたとのこと。伊達家のお家騒動のもとは、この辺から来ているという説が有力。 江戸時代、豊穣の土地だったのですね。
北上川のすぐそばに建つ「海老喜」 この日はここが研修会場でした。 店の角が斜めに切られています。 道路拡張に伴って、後から斜めに改修した建物です。
ホールの内部 店の大旦那様が登米の町づくりについて、その歴史をお話してくれます。 隣は若旦那
ホール内 この地は気仙大工が活躍した場所ですが、この建物は地元の大工が造った。 木組みがすばらしい建物です。 照明にも気合がはいっています。
講師の大竹宮城県建築士会、副会長 登米の町づくり、こちらのお店の建物について話していただきました
登米市の布施市長も参加 歴史的な町並み、建物を市の町づくりにも活かせるようにと、参加となりました。 登米の町の価値を良く理解しています。
海老喜ホールの建物群 今も現役の建物です。 味噌、醤油を製造、販売しています。 江戸時代からの建物です。
3つの建物、醸造元 東日本大震災にも被害はあっても残りました。
直ぐ近くの登米町尋常小学校、国の重要文化財に指定れています。 こちらの建物を建てた大工は気仙大工。 設計管理は宮城県から来た気鋭の有名な方。 当方が尊敬する建築家?藤森氏の大学卒論はこの建物、設計士。 妥協を許さない監理の結果、気仙大工は夜逃げ同然のようにしてこの登米を去った。美しい尋常小学校の建物ですが、建築は大変だった。材料にも妥協がなかった。その結果、今もあのようにしっかりし建物が残っている。
「海老喜」の店は、この気仙大工に施工を依頼するということもあったらしいが、尋常小学校の工事で大損をした結果、登米には気仙大工は残らず、地元の棟梁が施工することになった。そんな歴史が残っています。 続く
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