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広島県、鞆の浦の旅 5月中旬の広島県です。 行けそうで今まで行けなかった鞆の浦をはじめて訪問、旅となりました。 宮崎駿監督、「崖の上のポニョ」を監督はこの町をモデルに構想を作ったというところ。
江戸時代、朝鮮通信使の迎賓館だった、福禅寺・対潮楼 そこからの眺望です。 絵を見ているような場所。朝いちばんに訪問したことも、他にお客さんがいません。 日中は多くの方が来るようです。
福禅寺・対潮楼の境内 朝鮮通信使は長崎の出島に日本に入り、江戸にはここ瀬戸内を通り船で向かうのですね。 ここ鞆の浦は潮の関係でこの場所が宿泊所だった、ということです。
鞆の浦の町中 旅館も兼ねている歴史的な建物。 宮崎監督も宿泊する旅館。 赤ベンガラが美しいんですね。
入口はまだしまっていました。 朝いちばんです。
鞆の浦の港 江戸時代の姿を今も残す、日本唯一の港です。 一時この港を開発する案が出され、鞆の浦の人は意見が分かれた時があったのですね。 ここ数年前のことでした。
運転手さんがガイド役。 ここが港。 河岸という雰囲気です。 こんな港は日本の中には、もう残っていないそうだ。
鞆の浦の町中。 道路も良く整備されている。 道幅が狭くて不便なことは覚悟の上。
鞆の浦の町中。 とてもホット感じの町並みが続くのです。
やっぱり素敵な鞆の浦です。
江戸時代からの常夜灯 船の安全運航に使われていたのですね。
江戸時代末期、ここの沖で歴史的大事件がおきました。 いろは丸事件です。 坂本竜馬率いる土佐海援隊の船が紀州藩の船とぶつかり沈没。 国際法にのっとり竜馬は紀州藩と事故の処理をした。 ここはその記念館です。
いろは丸記念館の先に保命酒の老舗です。 太田家?かな。重要文化財の建物? こちらのお酒は薬草いりのお酒 食前酒でもいただくそうです。 養命酒より古く、薬草の種類は2つ多いのだそうです。 かなりあまーいお酒でした。
かつて鞆の浦は栄華を極めていたのですね。 人、物が行きかっていた。 ところが明治、大正、昭和となって鞆の浦は物流の重要な場所から離れていった。 必要で無くなったのですね。 だから開発の波がここには来なくて、江戸時代の町並み、面影がそのまま残ったのでした。
鞆の浦の町並み 甍の波です。 常夜灯も見えます。 海には鯛の捕獲するイベント船が停泊中でした。
明圓寺への参道 お寺も町中に、かなりの数残っている。 こちらはその中の一つ
明圓寺境内です。 ここが鞆の浦、旅の終点でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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