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カテゴリ:旅
鹿児島、薩摩の旅2 西郷どん
今日も暑い。当地も空梅雨です。 熱中症がものすごく危険な状態。これが夏本番、これはきつい夏です。
鹿児島の旅。来年のNHK大河ドラマは西郷隆盛らしいですね。 今回のおじさん旅、本当は屋久島の計画でしたが、縄文杉までの徒歩を厳しくメンバーに反対されて、屋久島断念し、鹿児島、薩摩半島と大隅半島、霧島の旅となったです。
鹿児島、おじさん旅のメインテーマは、何故江戸時代から明治に時代を進めたエネルギーはここ鹿児島のどこから生まれたかです。東北は江戸を守る側、薩摩は新しい時代を作る側。何がこんない違いがあったのか。人材育成とお金はどうやってあつめたのか、ですね。 江戸時代、前田、島津、伊達が大名の石高順番。伊達も大きな藩だったのです。 島津と伊達、日本の南と北という立地。この影響は。 何故島津が出来て伊達は門外漢だったのか、興味があるのでした。 今回の旅はその辺の問いへ、答えさがしです。 では旅の再スタートです。
鹿児島市内、城山へ。明治時代ここで明治政府と西郷隆盛政府との戦いがあった場所。 展望台からは桜島が正面に見えるのですね。 鹿児島市内では西郷隆盛に関する史跡を巡りました。 上の写真は、西郷が最後の地
西郷隆盛像、今でも尊敬、親しまれている西郷どんですね。 ここは城山の麓。 来年は多くの人が訪れるはずです。
西郷どん像のすぐ近くの場所でした。 鹿児島市内には歴史的な建物が数多く残されています。 明治に建てられたこちらの近代的な建物もその1つ 旧博物館でした。
城山の麓、 様々な文化施設が集まっていました。 こちらは美術館 豪華な大理石で作られた館内でした。
江戸時代の末期 薩英戦争の舞台となった場所 仙巌園です。 この地域は世界産業遺産に指定となっていました。 イギリスは錦江湾に軍艦を7隻集め、軍需工場が集まるこの場所を破壊したそうだ。 薩摩藩は江戸時代の末期、ここで製鉄を作り、大砲、ライフル銃、鉄砲の弾、という軍需工場をすでにつくっていたのでした。これは驚きです。 さらに製糸工場も近代化されていました。技術者をヨーロッパから招いて、江戸時代にすでに製糸工場が動いていた。 かつ、アジアと密貿易も行っていた。 アヘン戦争に敗れ欧米の植民地化進むアジアとすぐ隣の薩摩は富国強兵に走ったという理由が身近に理解できるのでした。 薩英戦争で敵同士だった薩摩と英国はその後同盟を結んで、徳川の時代を終わらせたのですね。 ここ東北の世界観と薩摩・島津藩の世界観は大きく違うのですね。 島津藩72万石、伊達藩60万石だったのでした。
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