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カテゴリ:ステップアップ
九太郎さんへのコメント(質問)を書き込むとありがた~い返事を頂いた。
お礼を言うのはもちろんだが、それで終わらしてしまってももったいない。 という訳で、感想も含めちょっぴり長めにいろいろ書きたい。 西郷隆盛は大きく叩けば大きく響くと称された。 だがしかし、九太郎さんは小さく叩いても大きく響く人だと思った。 ワカゾーカシゾーの何気ない、ふとした、気軽な、質問に対して懇切丁寧に返事をして頂いた。 質問に込められているエネルギーとその返事にこめられているエネルギーの差が明らかすぎて、申し訳なくもあり、恥ずかしくもある。 今からはこころしてコメントするようにしよう。 このことが無意識にできるようにまずは意識していこうと思う。 (虎のお言葉を拝借) キッチンガーデンの安楽さんは日々、瞬間瞬間感動している。 見るもの・聞くもの・におったもの・触れたもの・食べたもの・感じたもの・・・全てに感動している。 極論かもしれないが、これら全てのものを証だと考えることができる。 先生レベルの人だと、極端な話ではなく、当然なのかもしれない。 証が無いと嘆く人はただ気付いていないだけなのかもしれない。 まだ証が出すには、まだまだ早いのかもしれない。 証が出ていないとことですら、何らかの証になりえる。 例えば嫌なことが起きた時。 これは何かの証なのだと思う。 だけど、やっぱり嫌なことは嫌なこと。 無理やりポジティブに考えても、納得いくことはなく、まして府に落ちることは無い。 嫌なことを嫌なことで終わらせる人。 嫌なことを無理やりポジティブに考える人。 嫌なことを自然とポジティブに考えられる人。 どんなことでも、言いか悪いかは別として証だと考えることができる人。 今思いついただけでも4段階ぐらいあるのかなと思いました。 今の自分は嫌なことを無理やりポジティブに考える段階のような気がします。 嫌なことを長く引きずることはあまり無いですが、嫌なことをポジティブに考えようとする時にエネルギーを使っていたり、心のゴミがたまってしまっているのかもしれません。 証のことに関しては、(他のことでも)九太郎さんの足元にも及びません。 だがしかし、だがしかし “二天”事件は たまげたけど たまげただけです それ(証を受けること)よりも もっと向上していけるように 違うことを投げたいと思います。 証を信仰しているわけではないのですから●様を信仰して・・・ (九太郎さんのブログより引用・加筆) 九太郎さんからこのようなことを言われた日には、足元にも及ばないと言うより、自分と比べてしまうことすら失礼だと思いました。 美山に行った時安楽さんはこう言われた。 「俺が話してるんじゃないわ。 (天を指しながら)ただ天から感じた気を話しているだけや。 俺が話しているが、俺が話しているわけではないんや。」 九太郎さんのブログも同じじゃないかと思いながら、読んでいました。 という訳で、タイトルもこうした訳です。 どうも最近気付きが無いように思っていたのですが、よく考えたら●様に投げてすらいなかったなぁと気付きました。 さすがに●様でも、僕が投げなかったら、キャッチボールもできんなぁ。 証サイコー野郎にならないようにだけは気を付けます。 九太郎さんのブログを読んで、またもや悩みをスッキリさせてもらいました。 直接悩みを相談した訳でもないのに、心の目を開かせて頂きました。 (自分もこんな鑑定が出来るように励むばかりです) 九太郎さん毎度毎度ありがとうございます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年08月29日 22時29分28秒
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