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カテゴリ:エッセイ
こんにちは~ このところずっとなんですが、一つのことを思わされています。 それは「自分にあって」っていうことと「キリストにあって」っていうこと。 先週、あるきっかけで自分の内側を見せられたっていうことを書きました。 その時、本当に自分の内側にはいいものが全くないなぁ~って痛感させられました。
でもこの一週間、いろいろなことを考えさせられて、自分にあっては確かに駄目だ、でもイエス様にあっては全く違う存在。 イエス様の十字架と共にすでにその駄目駄目な自分は死んでいる。そしてイエス様の復活とともに新しく生かされている。 キリストにあっては勝利だ! そう思うととっても嬉しくなりました。
今、ある本を読んでいます。聖書のベイシックのことをわかりやすく書かれている本です。 「聖書がおもしろいほどわかる本」っていう本です。 まだ読んでる途中ですが、一般の出版社から出されている本で文庫本です。 ある大きな本屋さんの棚の上に沢山平積みされていたので買って読んでるんですが、とってもわかりやすいし読みやすいです。
その本の中で罪についてが書かれています。 罪は私たちを造られた神様との関係が途絶えること、つまり自分の意識から神様を閉め出して、神様ではなく自分の意識だけで判断することというようなことが書かれていました。
神様とのいのちの交わりが薄くなり、内なる霊が神様と結びついていないとき、その時こそが"In mine"(私にあって)なんですよね。 そしてイエス様と一つ結びつけられているときが"In Christ"(キリストにあって)です。
もっともっと深くイエス様を愛し、イエス様の中で休みたいです。イエス様の愛に満ちて優しい優しい御手の中でいのちが通い合う愛の交わりをしていたいです。 そしてイエス様とぼくの霊が一つに綾なされて、イエス様の思いを現す歩みをしたいです。
主の愛の中でね。
早いもので今週も後1日、最後の一日も主の御手の中で休む一日となりますように☆ ではでは お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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