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テーマ:クリスチャン・ライフ(754)
カテゴリ:バイブルスタディー
こんにちは~ 今日はうちの方は朝から寒い! 一日風が冷たくてとっても寒かったです。 暖冬であったかかったのが、急に寒くなってビックリです。 でもきっとこれが普通なんでしょうね
昨日は前回の記事にも書いたんですが、祈祷会に行って来ました。 前半は旧約聖書のイザヤ書2章から学びました。 その中で印象に残ったみことばです。 それなのに周りを気にしたり、神様じゃなくて人の意見とか人の言葉を聞いたり。。。 でもこのみことばの通りなんですよね。 何を第一にするか。
同じ旧約聖書のエレミヤ書17章7~10節にはこういうみことばがあります。 その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。 人の心は何よりも陰険でそれは直らない。だれが、それを知ることができよう。 わたし、主が心を探り、思いを調べ、それぞれその生き方により、行いの結ぶ実によって報いる。
いつも神様を第一とする者でありたいですね。 そして人を見るんじゃなくて、神様を畏れる者でありたいですよね。
ぼくの内側の性質として、人を恐れたり、人の目を気にしたりする部分ってあります。 でも昨日、改めてそうじゃないんだなぁって思わされました。 上の聖書に書いてあるとおり、人の心って多かれ少なかれだれもが陰険な部分があるし、偽る部分がありますよね。 でも神様は偽りも陰険も全くないですよね。
もっともっと神様との愛の関係を深めて、いつも神様を見続けるようにしたいですね。 神様のメッセージはいつも「恐れるな!」「大丈夫!わたしはお前と一緒にいるから!」 でも人のメッセージって「大丈夫か~?!」「こんなことしていいの~?」「あの人こんなことしてどう思われるか・・・」 神様の御心から外れていたり、聖書でしてはいけないって書いてあることであっても「大丈夫!これやったらいいよ~」「面白いよ~」「成功するよ~」
これらって全部自分の内側から聞こえる声でもあります。 今回、このみことばをとおして改めて、神様の声を聞くのか、人というか、自分の内側から聞こえる声やそれこそ人の声か、鼻で息をする人間の声を聞いて頼りにするのか、どっちなのかって考えさせられました。 いつも神様の御声に聞き従う者でありたいですね。 昨夜はそんなことを思わされました。 ではでは
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