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2024/08/04
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テーマ:社交ダンス(8594)
カテゴリ:旅行記
<英雄広場>

ハンガリーの首都ブダペストを日本語で案内してくれる3時間でサクっと観光というコースを申し込んでいました。

こう言った観光は、ガイドさん次第ですよね。

いいガイドさんに当たるとお値段以上に得るものがあります。

アンジェリカさんは現役の歴史教師で、豊富な知識と言語能力を兼ね備えた予想を遥かに超える素晴らしい案内人でした。

大阪の大学に留学していた時、着物を着て仲居さんのアルバイトをしていたそうです。





最初に案内された市民公園の中にある英雄広場。

中央の柱の一番上には聖ガブリエル、現在修復工事中で数日後には下におろす予定だったそうで、ちゃんとした姿が見られてラッキーでした。

その真下には10人の部族長たち。

左右に並んでいるのはハンガリー王国の歴代の王様たちです。

一番左が初代ハンガリー王イシュトヴァーン1世。国土統一を成し遂げ、キリスト教に改修してヨーロッパに国として認めさせます。ちょうど西暦1000年に戴冠式を行いました。





その時の都の名前『エステルゴン』が、ロード・オブ・ザ・リングに出てきたような気がして調べてみたら、アラルゴンの幼名がエステルでした。トルーキンはこの辺りから名前を拝借したのかしら。

イシュトヴァーン1世とその次の王様だけ、頭に聖人の印の輪っかが乗っています。

政治的に利用したにしろ、一気に国民全員をキリスト教信者にした功績は大きいですもんね。





1200年代には東からモンゴルが攻め入ってきました。なんとか凌いで防御を固め、ハンガリー第2の建国者と言われたのが左から五番目の王様ベーラ4世です。

1500年代にはオスマン帝国が侵攻してきます。

そういえば愛と欲望のハーレムの皇帝スレイマンは戦が大好きでしたね。ハンガリーにも遠征してました。

1600年代になるとオーストリアを中心としたハプスブルグ帝国が勢力を伸ばし、1741年には女帝マリア=テレジアがハンガリー国王になりました。





1896年に万博があって、この塔を含む様々な建築を行ったのはオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世。

絶世の美女とされたシシィの旦那さんで、ウィーン大会会場となった市庁舎を建てた人でもあります。





戦争で破壊される前は、マリア=テレジアやフランツ・ヨーゼフ1世の像もあったようですよ。

一番領土が広かったのはフランツ・ヨーゼフ1世の時代、第一次世界大戦前までとのこと。

オーストリア、ハンガリーはもちろん、現在のチェコ、スロバキア、ポーランド、ウクライナ、スロベニア、セルビア、クロアチア、ルーマニア、イタリアの一部まで帝国でした。





1900年代は激動の時代で、革命があって共和国になったり、また王国に戻ったり、ナチス・ドイツの傘下に組み込まれたり、第2次世界大戦後はソ連の勢力下に。

ソ連の支配から脱したのは1989年のベルリンの壁崩壊の年で、その時18歳だったアンジェリカさんは両方の時代を経験したと語っていました。





歴史の痕跡は街の至る所に見られました。

オスマン支配時代の温浴施設、ソ連時代のサーカス劇場や映画館、一番目立つのがオーストリア=ハンガリー帝国時代の建造物です。

アンジェリカさんと運転手さんのハンガリー語の会話は全く意味不明で、こんなにいろんな国々の支配下にありながら独自の言語を守り抜いた国民性に感心しました。








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Last updated  2024/08/07 06:53:44 PM
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