作品のひとり歩き
自分の作品が世の中に出ていると、その作品はもうひとり歩きして勝手に育っていきます。作品が良かった悪かったかの反省はしてもしょうがない。できちゃったものは修正はできない。そして時間がたてばその作品は自分の所有なのだけど聞く人のモノになってしまう。どこでどう聞こうとしているかによって作品は変わる。そこには作者にとっての意外性もある。そして楽しみでもある。作品は子供みたいに生んだら勝手に人によって育てられる。育ち方を見ると元の作品からはだいぶ雰囲気が違う場合もある。でも、それも作品の人生。そこで大切なことは作品の育ち方をあらかじめ道筋を作っておくと思ったとおりに育つ。ここが子供の親離れから変化するのとはちょっとばかり違う。作品にその方向性を秘めさせておくのはちょうど手品のタネの仕掛けをしておくようなもの。作詞家は作曲家によってメロがつけられると自分の発想の歌詞から変わるから面白い。そして編曲でカラオケができると作詞家も作曲家もびっくりする。それを歌手が歌うと作詞家も作曲家も編曲家もそれぞれびっくり。そしてカラオケで一般の人が歌ってびっくりからあきらめに近いものに変わる。でも、このあきらめは一人歩きをしたから手を加えられないあきらめである。だからここで作品は誰に歌われるかの試練に当たりもっと育っていく。子供はもう大人になっているわけだ。