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カテゴリ:ニュース・社会うんちく
このノンフィクション、文庫本は541ページあり、結構な厚さなのだが、一気に読んでしまったという感想をよく見かける。俺も細切れの時間を見つけては読み続け、読み終わるまで関心が途切れることはなかった・・・というより、以前書いたようにほとんど活字中毒状態であった。多くの人がそこまで惹き付けられるのは、事件そして被害者の日常生活への衝撃がもちろんあるのだが、佐野氏の文章と構成がそうさせていることを見逃してはならない。 しかしこの作品、例えばアマゾンコムなどの書評をみると、ひたすら揚げ足取りに徹し、異常と思えるほど内容を貶している書評を見かけることがある。何故にこれほどまで極端に否定的な書評が書かれるのか・・・・。 作品の中では、事件発生後、渋谷・円山町の紹介から始まり、東京地裁で第一審が出るまでの経過が描かれている。ネパールをはじめとしていくつもの土地を佐野氏が取材した内容を元に、事件の検証や関係者の証言で要素が占められ、佐野氏独特の視点と文体で事件の闇に迫ろうとしている。その過程でいくつもの事実や論証が提示されていくのであるが、その事実や論証が、結果的に警察や検察のやり方、そして高裁以降の判決を批判する形となっている。この作品が読まれることを嫌い、貶めたいと思っている人たちがどういった立場の人たちなのかは、作品が提示した内容を見れば自ずからわかるであろう。極端に否定的な書評は一体誰の視点で書かれているのか・・・表面に出ている事象に対して注意深くその背景を考える必要があると思う。 事件発生後、容疑者としてネパール人のゴビンダ氏が捕らえられたのだが、作者は自らが取材した要素によって、彼が犯人ではないという結論に達している。事実、東京地裁での第一審判決は無罪であった。東京地裁がゴビンダ氏を無罪とした根拠は、証拠として提示された物的証拠の数々がゴビンダ氏を犯人とするには説得力に欠け、弁護側が主張しているように、逆にゴビンダ氏が犯人ではない可能性を高めるものであったからだ。 ゴビンダ氏を犯人とする物証として、検察側は現場に残されていた精液入りのコンドームを挙げているが、精子の劣化度合いの説明がいい加減であるなど、検察側の証拠は不十分であり、一審で無罪判決となったのは道理であると思う。しかし、その一審判決は、高裁で翻ってしまうのだが、それについての見解は続編『東電OL症候群(シンドローム)』で書くこととする。 一読者として一番不可解な物的証拠は、巣鴨で見つかった被害者の定期入れだ。佐野氏が推理しているように、被害者の定期入れを巣鴨の路上から民家の庭先に捨てたのは、犯人、もしくは犯人に関係ある人物であると考えるのが自然であり、被害者自らが巣鴨に出向いて定期を紛失した可能性もあるなどという検察側の論証はあまりにお粗末と言え、ゴビンダ氏が巣鴨に出向いて捨てたと説明すれば逆に検察側のボロが出てしまうことがわかっていて、それを回避するための苦肉の詭弁ではなかったかと勘ぐってしまう。 ・・・ このノンフィクションを読み進めていくうちに、いくつもの驚くべき事実に遭遇した。被害者の女性が常習的に売春をしていたことや、円山町の駐車場の影でも事を済ませていたことなどをはじめとして、容疑者として拘留されたゴビンダ氏と被害者との関係、特にゴビンダ氏の住んでいた部屋に出向いて三人のネパール人と続けざまに事を成した彼女の行動など、表面的な報道からは知ることのなかったいくつもの事実に少なからずショックを受けた。 何年か前、ゴビンダ氏の裁判を支援する「無実のゴビンダさんを支える会」という会のチラシを見たことがある。そのチラシで見たゴビンダ氏の印象は、日本に出稼ぎにきて真面目に働く清廉潔白な一青年の印象だったのだが、この小説を読むと必ずしも清廉潔白なわけではなく、同じ本を読んだ友人が「ちょいワル」と表現したように、若き男性としていかにも人間臭い日常を送っていた。被害者の女性とも複数回、客として関係を持っており、事件のあったアパートの一室も、最初はゴビンダ氏が彼女を連れ込み、事を果たした場所であった。それゆえに現場にはゴビンダ氏が使用したコンドームが残されていて、それを物証とされ、容疑者とされることとなった。 しかし、そのような事実があったにもかかわらず、様々な矛盾点からゴビンダ氏は一審で無罪と判決された。清廉潔白な一青年だとばかり思っていた俺は、彼と被害者との関係をこのノンフィクションで初めて知ることとなり、少なからずショックを受けたのだが、それらを隠すところなく描いた佐野氏の論証は、逆にゴビンダ氏無罪説に説得力を与えているように思う。 ゴビンダ氏は一審での無罪判決のあと、新証拠も出ぬまま高裁で逆転有罪となり、最高裁で無期懲役が確定した。現在その判決のため横浜刑務所に服役しているのだが、ゴビンダ氏について詳しいことは以下のサイトを参照していただきたい。事件についても経緯が掲載されている。 ●リンク:無実のゴビンダさんを支える会 被害者の女性に興味があってこの事件に関心を持ったという人であっても、事件のために無期懲役となり、冤罪と言われながら今現在も拘留されている人がいるという事実を受け止めるべきではないかと思う。 ・・・ ゴビンダ氏が犯人でないとすれば真犯人は一体誰なのか?・・・必然的にその疑問へ向かうのだが、真犯人については残念ながら今なお不明である。佐野氏も真犯人は一体誰なのか推測したであろうが、そのイメージが書かれることはあっても、これと特定できる具体的な内容は書かれていない。一審で無罪判決が出されたのであるから、検察も事実をありのままに受け入れ、捜査をやり直すべきであったのだろうが、その欠陥は訂正されることなくゴビンダ氏犯人説のまま突き進んだ。単にメンツだったのだろうか? これらの経緯を読み進めていくと、ゴビンダ無罪説の証拠をことごとく無視し、あくまでもゴビンダ氏を犯人と断定し続けた高裁以降の裁判と検察側の姿勢にこそ不可解さを覚えてしまう。被害者の女性の「心の闇」について書かれたものがいくらでもあるのに対し、社会的に追求されるべき「権力の闇」について書かれたものはあまり見たことはない。佐野氏のこのノンフィクションは、被害者の女性の「心の闇」を追求しようとしたのと同時に、警察・検察・裁判での「権力の闇」への導入口を、取材を重ねることによって世に提示したという点でも評価できる作品ではないかと思う。 巣鴨で見つかった定期入れは何を意味するのか?被害者の「心の闇」が闇のままであるように、事件の真相もいまだ闇の中なのだ。 佐野眞一『東電OL殺人事件』、次回は被害者の「心の闇」について書く。 ●自ブログリンク:きっかけ ●自ブログリンク:渋谷・円山町 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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