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カテゴリ:ニュース・社会うんちく
被害者の女性の行動について、自分はどのように考え、どう解釈したか。実は本を読んだ直後の8月の上旬に長々とした考察を書いていたのだが、的はずれなことを書いているのではないかと不安を覚え、ブログに投稿するのは控えていた。 男性である自分にはどうしても見えにくいこと、推測は出来ても実感として確信を持てないような動機があるのではないか・・・・そう思い、彼女の行動について、ざっくばらんに女性の意見を聞きたいと思っていた。 長年の友人で、男性以上にバリバリ働いているHに、まずこの本のことを話した。Hは興味を持ったようで、次に会う時には『東電OL殺人事件』はおろか、『東電OL症候群』まで読み終えていた。沖縄料理の居酒屋で呑みながら彼女の意見を聞いた。 「私は、ほら、こうして(N郎♪)さんと呑んでいるように、男の人と呑んだり、職場にも女性の友達がたくさんいるからそんなことはないけれど・・・・彼女、(男の人といろいろやりとりして)それなりに楽しかったんじゃない?」 Hらしい意見だった。そんな意見を言うかもしれないと、ある程度は想定していたが、少なからずたじろいだ。被害者の女性について悲惨さばかりに目が行きがちになるが、まったくの悲惨であったかどうか、価値観の問題でもあるため、そう決めつけてしまうことに自分も躊躇があったからだ。自らの意思で行動していた彼女は、彼女なりに充実していたのではないか・・・・すべてではないが、確かに生前の彼女のエピソードを語っていた男性客との交流は、彼女にとって楽しみでもあったのかもしれない。 「でも、私だったら・・・やっぱり出来ない。」 少し考え、うつむきながらHは首を横に振った。彼女の「心の闇」を自分に置き換えることはやはり難しいようだった。 「この本を他の友達にも知らせたいんだけど・・・・周りを見回してみて一番カゲがありそうなのは・・・私だから(笑)」 2冊の本を夏休みの数日で一気に読んでしまったという。読まずにはいられなかった・・・Hはそう話していた。 もう一人の友人のMには、事件のことを説明しながら円山町を歩き、道玄坂地蔵、そして事件の現場となったアパートを紹介して、最期に神泉駅から井の頭線に乗った。 神泉駅のホームで電車を待ちながらMは言った。 「きっかけは男だったんじゃない? 男に貢いでいて、それで騙されとか、裏切られたとか・・・。あとからは知らないけれど、最初のころはきっとそんなことがあったんじゃないかな・・・。会社のライバルに負けたからとか、父親が死んだからとか、そんなのありえないわよ。」 Mらしい意見だった。彼女と同じく父親をガンで亡くしているMであったからこそ余計に説得力があった。失恋なり、男に裏切られたことが彼女を自暴自棄にさせたのかもしれない・・そう確信を持って話すMの意見を聞きながら、妙に説得力があることに感心した。被害者の女性の「心の闇」は、論理ではなく直感で判断したほうが混乱することがないのかもしれない。 Hの意見にしても、Mの意見にしても、男性の自分には想像はできても、彼女らのように確信を持ってこうだと口にするようなことはできない意見だった。やはり視点が異なれば、そこから生まれてくる憶測も異なったものとなるのだろう。女性の意見を直接聞けてよかったと思う。 この事件を知った人は彼女の行動の動機についてあれこれと思惑をめぐらす。興味深いのは、そこで出て来る推測には、思惑をめぐらす本人の経験なり、人柄が出てくることだ。 被害者の女性のことを知り、多くの人が惹き付けられてしまう理由はそんなところにあるのではないか。彼女の行動の動機についてあれこれ思いをめぐらすのだが、思考の基準にあるものは、他の誰でもなく深層心理の中にある自分自身となっている。彼女の「孤独」に思いをめぐらす行為は、実は自分自身の「孤独」を見つめ直す行為ともなり、それゆえにどこまでも深くその謎に惹き付けられてゆく。 『東電OL殺人事件』を読んだ読者から、筆者の佐野氏にものすごい数の手紙や読者カードが寄せられたという。これについて続編の『東電OL症候群』の中で、精神科医の斎藤学氏と対話する医療機関主催のシンポジウムに出席した際、佐野氏は次のようなことを話している。 この手紙をここで読みたいんですが、非常に多いので全部紹介するわけにはいきません。とにかくみなさん、たたきつけるようにして書いている。特徴的なのは、自分の人生を実に詳しく書いていることです。私はこれこれこういう者です。いまこういう年齢を迎えました。自分にはこういうことがありました。 ~(中略)~ 彼女はもうこの世にはいないわけですけれど、この本を通じて彼女と対話すると、自分の心の内面の闇を語りたくなってしまような、そういう女性なんじゃないかと思うんです。 筆者の佐野氏自身も彼女に強烈に惹き付けられ、そしてこの本が生まれた。そこには佐野氏自身の「心の闇」がシンクロナイズしていたことを、『東電OL症候群』のエピローグの中で告白している。 私は「発情」した根源をむきだしには語らなかったが、行間には私個人の親と子、兄弟にまつわる誰にも話せない闇と哀しみを潜ませたつもりである。さらにいうなら、「個」の哀しみを語るとき、「類」としてしか語れない人間存在そのものの哀しみを込めたつもりである。 それは、丸裸で無人の地べたに寝かされたような、あるいは、宇宙にたったひとりで放り出されたような極北の孤独である。あえて言うなら、それが私の「発情」の根源だった。 8月の上旬に自分が最初に書いた彼女への考察は、簡単に述べるとこういうものだった。彼女にはある目標があり、その目標のために他のことをすべて犠牲にしていたのではないか、少なくともいわゆる普通の「幸せ」は捨て去っていたのではないか・・・・。自分がこのような推測をした背景には、何よりもかつての自分が似たような経験をしてきたことがある。一つの目標のため、時間も人生もすべて注ぎ込み、他のことは一切捨ててきたというような。そしてまた、自分は兄を亡くしているのだが、亡くなった兄も彼女と同じような面があって、他のことをすべて犠牲にして創作活動に打ち込んだ。そんな生活のコンプレックスの裏返しか、芸術に対してだけは孤高であろうとした。孤独であった時の彼は思考回路に歯止めが効かず、人間的に暴走していたと思う。思考に幅がなく、周りが見えなくなるというか・・・。だが、その「孤独」について自分もよくわかる。似たような思いを彼女から受取ったのかもしれない。 彼女の「孤独」は自分にとっても共感できるものであった。そしてこの事件に触れた多くの人が同じようにその「孤独」に共鳴した。そこには佐野氏のいう「人間存在そのものの哀しみ」が横たわっていたからこそであり、それゆえに、事件から10年近く経った今でも、こうして語り継がれているのであろう。彼女の問題であるのと同時に、自分自身の問題として・・・。 ●自ブログリンク:佐野眞一『東電OL殺人事件』(2) ●自ブログリンク:佐野眞一『東電OL殺人事件』(1) ●自ブログリンク:きっかけ ●自ブログリンク:渋谷・円山町 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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