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カテゴリ:ニュース・社会うんちく
1985年8月12日、羽田発大阪行の日本航空123便が長野県境に近い群馬県の御巣鷹山に墜落した。乗員乗客524名のうち520名が死亡するという、航空機単独の事故としては史上最大の被害者を出すこととなった。 『昭和・平成日本「怪死」事件史』に収録されている記事の中で、作家の安部譲二氏はこの事件について次のように語っている。 「陰謀でもなんでもなく、日航機は撃墜されたとしか思えない」
この本に収録されている記事の中で最も衝撃を受けたのは、123便事件について安部譲二氏にインタビューした記事だった。単発エンジン小型機の操縦免許も持っている安部譲二氏は日航の客室乗務員だった時代があり、123便事件についての著作もある。(『日本怪死人列伝』2002年 扶桑社文庫 ) 安部氏によると、事件があった当時、新造された護衛艦「まつゆき」が相模湾で試運転をしていて、テストのためにその「まつゆき」艦上から無人標的機が発射され、123便の尾翼に衝突したというのだ。 「ぶつけたんじゃなくて、ぶつかってしまったんでしょ。」 自分はあまりに無知であった。今回この記事をブログに書くにあたり、123便墜落事件についてネットを調べていたのだが、この事件には多くの疑問や謎があり、安部氏が述べているような説はいまさら驚くような話ではなく、信憑性のある定説となっているようなのだ。 ●リンク:事故についての疑惑・謎 次に挙げる二点により、安部氏が挙げたような説はかなり信憑性が高いと自分も思う。 理由1 運輸省事故調査委員会が尾翼破壊の原因として挙げている圧力隔壁の破損について、様々な事実から、それに伴って発生するであろう急減圧が実際には発生していないことがわかっている。つまり尾翼が破壊された本当の理由が隠蔽されたままになっているということ。 理由2 123便の破損した垂直尾翼の一部を「偶然」に護衛艦「まつゆき」が発見し、回収したということ。 圧力隔壁の破損を事故原因とすることには日本航空三乗組も疑問を投げかけ、再調査を求めている。 ●リンク:日本航空三乗組 123便事故特集 護衛艦「まつゆき」については、尾翼が落下した地点を予測して捜索した結果、発見したというのならまだしも、どこから出てきた言葉なのかは知らないが「偶然に発見」と表明している時点で相当に意図的なものを感じざるおえない。 話を進めよう。123便は尾翼を破損しながらも、パイロットらの操縦努力によってなんとか飛行を続けることが出来た。そして静岡県焼津上空でUターンし、羽田に引き返そうとするが・・・・ 「僕はね、最終的には撃墜するためだと思いますよ。本ではそこまで書けませんでしたけど。123便の操縦士は横田か福生に降りようとしていたと思うんですよ。」 以下のサイトを是非見ていただきたい。123便がどういった飛行経路をとったのかシュミレーションされていて、動的に理解できるようになっている。 ●リンク:日航機墜落までの航跡 この経路をみれば明らかなように、123便は尾翼を破損しながらもなんとか飛行を続けることが出来ていたのだ。そして何らかの理由により山梨県大月上空で1回転し、再び横田基地方面へ向かっていく。しかし横田基地を目前にしてなぜか左へ急旋回し、御巣鷹山へと続く山岳部へ入っていくのだ・・・。 「自衛隊の浜松基地から2機の戦闘機(F14)が発進してるんですよ。どの時点で撃墜するためのミサイルをぶっ放したか、僕は分かりません。」 「あの機体が横田でも福生でも羽田でも、もしあのまま着陸してしまったら、内閣、吹っ飛びますよ」 ネットを調べていくと当時の週刊誌などの写真が掲載されているサイトもあり、目を覆いたくなるような墜落現場の光景に胸を痛めた。奇跡的にも4人の生存者がいたが、その中の一人、落合由美さんの証言にあるように、墜落直後にはまだ多くの人が生きていたという。 ●リンク:生存者の一人・落合由美さんの証言 1994年9月25日放送のテレビ朝日「ニュースステーション」によると、米軍は墜落現場をいち早く特定し、墜落から2時間後に救難ヘリが現場に到着した。しかし、米軍の救難ヘリには突然の帰還命令が出されることとなる。その一方で日本のマスコミは、墜落現場は特定できていないと次の日の朝まで報道し続け、日本の救援隊が現場に到着したのはそれから14時間後のことであったという。 これらの不可解な事実を結びつける隠された真相について、以下のサイトのPDFファイルに詳細に記載されている。安部氏は123便に衝突したのは無人標的機としているが、以下のサイトでは無人標的機ではなく、国産巡航ミサイルが衝突したと推測されている。巡航ミサイルが6分間もの間123便を追跡し続け、最期に尾翼に衝突したというのだ。説得力のあるその内容を読みながら呆然としてしまった。そしてその後に続く更に驚くべき内容にも・・・ ●リンク:日航機墜落事件の真相 なぜこのようなおぞましい事件が起こり、そして事実は「闇」に葬られたままとなってしまうのか?・・・これについて、次回紹介する事件についても同じことが言えるのではないかと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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