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テーマ:東京 / 江戸(1213)
カテゴリ:街についてうんちく
ちょうど今から10年前の1997年3月8日土曜日の深夜、渋谷・円山町で一人の女性が亡くなった。10年目の命日となる今日、亡くなった彼女のために花をささげようと思い、夜、渋谷の街へと向かった。 地下鉄に乗る前、花屋さんで花を買っていったのだが、彼女のためにわざわざ花を買っている自分に対して、どこか複雑な心境であった。会ったこともなければ、顔もよくは知らない彼女だ。 渋谷の街は夜も遅いというのに相変わらずいつもの渋谷の街だった。 道玄坂を上りながら、10年前、自分は何してたっけ・・・ずっと考えていた。よくは思い出せない。仕事のため渋谷に毎日通っていた時期もあったが、その事件から2、3年経っていたと思う。もし彼女が死なずに生きていたとしたら・・・四十代も終わりを迎えていたことだろう。これだけ有名にもならなかったに違いないし、人の記憶に残ることもなかったかもしれない。 百軒店の通りに入っていくと何人かの呼び込みがいた。今夜はいつもより人が多いように思う。こんな時間に歩いたのことがないからそう思うのかもしれない。 道玄坂地蔵にはいつもより多く献花されているだろうか・・・・そうかもしれないし、そうでないかもしれない・・・そんなことを思いながら、ホテル街の坂を下り、円山町に入ってまたホテル街の坂を上っていった。 道玄坂地蔵はいつもの道玄坂地蔵のままだった。お菓子とお酒が捧げられいたのが目につく程度で、特に献花が多いとか、そんなことはなさそうだった。10年も経ってしまえば、命日に献花をしにくる人もほとんどいないのかもしれない。かくいう俺も、半年前に本を読んでからしばらくの間は強烈に頭に残りつづけていたのだが、慌しい日常を繰り返しているうちに、ほとんど考えることもなくなった。この街を彼女が歩いていたなんていう記憶は風化され、そしていつか誰も彼女のことを思い出さなくなるのだろう。当時あれだけ騒がれたにもかかわらず。・・・家族以外は。 事件現場のアパートの方はどうかと思い、円山町の坂を下って神泉駅へと向かった。何一つ変わった様子もなく、アパートはいまだに静かにたたずんでいる。人が普通に生活している場所だ。神泉駅のトンネルも同じように平穏な日常の中でたたずんでいた。 道玄坂地蔵に戻ってみると、先ほどのお菓子とお酒がなくなっていたのが少し気になった。 花を添え、静かに彼女の冥福を祈った。彼女だけではなく、かつて花街として隆盛を極めていたころの人の歴史を考えざるおえなかった。 円山町は円山町のまま。夜中のほうが人が多いようで、腕を組み歩くカップルが多かった。しかし他のホテル街とちがってどこか温かみがあるような街の気がしてならない。 事件は風化し、忘れ去られたような10年目の命日。しかし不当逮捕されたままのゴビンダは今なお抑留中だ。彼にとってみれば、日本社会によって自由を奪われ、家族と引き裂かれ、人生を台無しにされている状態で10年目なのだ。事件は忘れさられても、その事件で不当逮捕されたままの人がいるということを忘れてはいけない。当時あれだけ騒いだマスコミはそのことを報道する義務があると思う。 ●リンク:無実のゴビンダさんを支える会/不当逮捕から10年 再審請求から2年/3-24無実のゴビンダさん支援集会/2007 渋谷の街を後にする時、これから10年あとも、渋谷は渋谷としてごちゃごちゃしたまま煩雑な光景でいるんだろうな・・・そう思った。もちろん再開発は進んでいくだろう。しかし、渋谷の光景はきっと10年後も渋谷の光景のままなんだろうなと思う。 10年後、自分はどこで何をしているのだろうか。少なくとも今よりは10年歳をとっていることは間違いない。10年前のこの日、渋谷に花を捧げにきたことを思い出すのだろうか・・・多分思い出すことはないだろう。しかしそれはそれでいいのかもしれない。 ●自ブログ:渋谷・円山町 ●自ブログ:きっかけ ●自ブログ:佐野眞一『東電OL殺人事件』(1) ●自ブログ:佐野眞一『東電OL殺人事件』(2) ●自ブログ:佐野眞一『東電OL殺人事件』(3) ●自ブログ:別冊宝島 『昭和・平成日本「怪死」事件史』(1) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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