東京育ちの拙僧が初めてもんじゃ焼きを食べたのは、三十も半ばを過ぎたまだバリバリのビジネスマンの頃。もう二十年近くも前のこと、当時勤めていた会社が築地の隣り新富町にあり、月島は有楽町線でひと駅の距離。でも用のない方向で一度も行ったことはなかったのです。女の子達を引き連れ月島は西仲通商店街~それはもんじゃの本場と呼ばれている~へ行き、流行っている店に入って生まれて初めてのそれを食べることになったのです。焼き方も分からずお店のおばさんに教わりながら、お上りさんのように嬉々として熱々のそれを食したことを鮮明に記憶しています。
お好み焼きは子供の頃から家で作って食べたり、学生時代には渋谷のお好み焼き屋さんによく行ったのですが、もんじゃには縁がなかったのです。東京人は皆もんじゃを食べると思ったら大間違いで、それは下町の子供のお菓子代わりの食べ物だったのです。子供の頃月島には叔母さんが住んでいて、よく麹町から都電の晴海行きに乗って遊びに行き西仲通にも行ったはずですが、もんじゃ焼きには気がつかなかったのです。もっとも今のように軒並みもんじゃ屋になったのはこの2、30年のことなのでしょう。
ふと迷い込んだ商店街、西仲通の看板を見て全てが昨日のことのように思い出されました。新しいお店が多くなっていますが、通りから覗く路地毎に懐かしい昭和の風情が残されているのがたまらなくうれしかった。狭い路地には花や盆栽などが置かれていて、生活感が溢れています。一刹那まるでタイムマシンで昔に戻ったような錯覚を覚えました。まだこういう映画のセットのような街が残されているのですねえ。小学生の自分や三十代の自分に出会えるのではないかと、路地の中に入って行きたい衝動にかられました。
路地裏の三毛猫ふり向きニャーと鳴き 博琳乎