日々精進
阿難は、常に多聞を楽(ねが)い、われは常に勤めて精進せり。(『法華経』授学無学人記品より) 阿難とは、ブッダ十大弟子の一人のアーナンダのこと。お釈迦様のいとこで素直な性格から信頼されて従者を長く務めました。涅槃に到るブッダ最期の旅にも立ち会っています。そのためお側近くで、ブッダの言葉をもっとも多く聞いた人ということで多聞第一と呼ばれ、お釈迦様没後に開かれた経典編集会議(第1回結集)では、お釈迦様の教えの誦出を担当しました。勿論、この当時はまだ文字に記された経典はなく、すべてアーナンダの記憶の中にあったものです。お経の冒頭の句、有名な「如是我聞」は、実はアーナンダが「私はこのように聞きました」と言っている言葉の漢訳なのです。アーナンダはまた、お釈迦様の言葉を素直に実践したすぐれた弟子でもありました。常に勤めて精進したということです。お釈迦様は今風に言えば、すぐれたカウンセラーでありコーチでもありましたから「よく学び、よく考え、実践しなさい」と弟子たちを励ましました。よく学びなさい。学んだことは瞑想によって自分の血となり肉となるように考えなさい。そして納得できたことは実践しなさい、と言うことです。漢語ではこれを「聞、思、修」と表現しました。よく聞いて学び、自分自身で深く考え、実践せよ、という意味です。よく聞いて学んでも、それだけでは何にもなりません。人の考えをそのまま鵜呑みにして、うけ売りする人がいますが、すぐばれてしまいますよね。やはり自分の頭でよく考えてみないといけないのです。実は難しいのはここからで、学んで理解したことは実行しなければ意味がないということです。お相撲さんがよく口にする「日々精進」とは、そういう意味なのです。拙僧の仏弟子修行はと言えば、遅々として進まず。。。昨日はまた台風の中、大人の書道教室に入門、知性の感じられない馬鹿文字矯正に五十の手習いと挑戦し始めたのですが、日々精進できるでしょうか?神様、いや間違えたお釈迦様、お力添えくださいね。(バチアタリめが!)日々精進できますように合掌 観学院称徳