桂春團治の上方落語を聴く
日本橋の古色蒼然たる三越劇場で、桂春團治の落語を聴きました。容赦のない老いの中で、肩を寄せ合って生きる老夫婦の愛を描いた映画「そうかもしれない」の特別上映会でのことです。春團治師匠は、この映画で老妻役の雪村いづみと共演しています。映画初出演とのことですが、私小説という化石のような世界で不器用に、実直に生きてきた小説家の老人役です。老人性アルツハイマーを発症した妻の世話をする中で自らも舌癌に侵されていく、老いの悲しさと別れ、壮絶で温かい真の夫婦愛を、控えめなリアリティのある演技で好演していました。主演の挨拶替わりに本業の芸をたっぷりと披露するという趣向です。上方落語の大看板である三代目春團治、初代は映画や演歌で有名な芸の鬼、浪速の春團治です。血の繋がりはないそうですが、噺には迫力と軽妙な軽みを併せ持つ凄いものです。演題は「祝い主」。頼りない夫に、しっかり者の女房が、家主の息子の婚礼祝いを届けさせるという噺です。金を預かって魚屋に行き、女房からは尾頭付きを買うように言われていたはずが、アワビを買って家主のところへ行く。家主はアワビを見て、アワビの片思いといって婚礼の祝いには縁起が悪いと受け取ってくれない。しょんぼり帰る途中、友人に知恵をつけられて、家主にアワビは祝いに付きものの熨斗(のし)の本来の姿だ、それを返すとは縁起が悪いぞ、と言いに行くのだが、まるでメチャクチャな言葉にしかならないのを、家主が察して代わりに言葉にしていくという、落語の笑いの定番でした。家主と借家人の親子のような関係、女性上位だが微笑ましい夫婦関係、お節介だが気のいい友人、短い噺の中に古き良き時代の小さな庶民の世界が活き活きと描き出されていく、上方落語の心髄とも言える芸を堪能することができました。落語や講談などの話芸が、子供から老人まで世代を超えて、庶民の文化や常識、倫理観の共有化に果たしていた役割の大きさをあらためて感じました。