あらためて十善戒
新年早々、師匠から厳しいお言葉をいただく。十善戒を基本とせよ!なななんと、日頃の不行跡を見透かされているような。。。常に慈悲深くあるためには、十善戒を実践して生きなければならないのですね。分かっちゃいるけど。。。以下、2006年06月06日掲載記事からの引用です。戒めとは、集団や社会における守らねばならない規範、律(=法律)とは異なります。官憲や他人に監視され、守らされるというものではありません。自らが守ろう、守り通そうと誓って実践する生活目標です。だからこそ、大切なのです。お釈迦様の四つの戒(四重戒)一、不殺生 (むやみに生きものを殺してはならない) 原語ではアヒムサー=無障害、 他の生きものに対して無害であること。二、不偸盗 (ふちゅうとう:他人のものを盗んではならない)三、不邪淫 (よこしまな関係をもってはならない)四、不妄語 (嘘をついてはならない)ほんとは、これに不飲酒(お酒を飲んではいけない)があり、五戒となりますが、お酒が美味しく百薬の長とされた中国、日本では、飲み過ぎてはいけないとなって外れ、(拙僧は命拾い?)僧侶の十善戒では、この四つに以下の六つが加えられています。五、不綺語 (不毛な論争をしてはならない)六、不悪口 (悪口を言ってはならない)七、不両舌 (二枚舌を使ってはならない)八、不慳貪 (貪欲になってはならない)九、不瞋恚 (怒りや嫉みをもってはならない)十、不邪見 (間違った見解、世界観を持ってはならない)どれも簡単で分かりやすい戒めではありますが、生活の中で守り通すのはやはり難しく、これを守ることそのものが修行とされる由縁です。戒を守ることによって、自然と善い生活習慣が身に付き、心身が健康になり、人に慕われる徳が備わってくるということです。心身が健康であってこそ、正しい精神集中(瞑想、禅定)の修行ができます。心身が健康であれば、慈悲の心は自然と芽生えてくるのです。戒めを保ち心身が健やかでありますように!先達の仏弟子たちも言い残しています。「この世では、戒めをこそよく学ぶべきである。 戒めを実行するならば、あらゆる幸運をもたらすからである。 戒めを守る人は、自ら制するために、多くの友を得る。 しかるに戒めを犯す人は、悪事を行って、多くの友から疎んぜられる。 戒めは、もろもろの善いことがらの始まりであり、 根底であり、根源であり、あらゆる徳のうちの主要なものである。 それゆえに、戒めを浄くせよ。 戒めこそ、この世で最上のものである。また智慧ある人は最高である。 ~人間と神々とのあいだでは、戒めと智慧とを具えているならば、 勝利を得るのであるから。」 (『仏弟子の告白 テーラガーター』608,610,612,619 中村元訳 岩波文庫)ありがたい、ありがたい 合掌 観学院称徳