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テーマ:最近観た映画。(40092)
カテゴリ:review
アフガニスタン映画。タリバン政権下、イスラム原理主義の抑圧の下生活を続けるカブールの町で、男装をして仕事を得ようと懸命に生きる少女の物語。 アフガニスタンといって記憶にあるのは、ソビエトによる侵攻と最近のアメリカによる空爆ぐらいのものだろうか。 こんな何の資源も得も無い荒れ果てた土地だというのに、大陸東西を結ぶ重要な場所に位置し、古来より異国や他民族の侵攻、侵略に晒されてきた国。独特の地形風土に守られつつも苛まれ、それでも逞しく息づいてきた人々をそれ以上に追い込んでいったのはなんだったのか。 近代の歴史を眺めれば、安定した王政がクーデターにより共和制と移行し、そこで台頭したマルクス主義とイスラム原理主義による対立がソ連の介入を招き、そこにイスラム圏の覇権を担おうとするサウジやインドと紛争を抱えるパキスタンなどの思惑などが関わって内戦へ繋がっていったという感じかな。 結局その根本には、こういう貧しく面白味のない国で知識を得、豊かさを知った一握りの人達が、まとまりもないうちからその欲求のはけ口として主義主張を唱え、よりまとまりを崩してしまったってのがあるんじゃないだろうか。 日々の糧のために働き、消費し、家庭を育む。生き方などそれだけで十分のはずだが、人は考えられる人ほど、誰でも可能で評価もされず存在価値を見いだし難いそんな生き方を否定しようとし、そしてそんな退屈な日常からの逃避を正当化しようと、それ以外にそれ以上に満たされた生き方があると考えることに意義を見出そうとする。 それは今の日本でも顕著に見受けられる意識だが、仕事やモノ、情報に溢れる環境なら、そんな生き方でも擬似的に充足してくれるものは豊富だが、それが著しく不足をしているこういう国では、そんな自分を一番満たしてくれるのは他の論理を否定し屈服させること。それすら正義として自分の価値を高めること。そしてそれをも正当化させる偏った宗教観に傾向していっても不思議ではない。 一方でそこには当然否定され屈服させられた意識がどこまでも存在するわけだから、安定など遠のくばかりだろうし、そこに押しつけられた人々、その犠牲となり守るべきものさえ奪われてしまった人々は、その混乱の中にこそ居場所や生き甲斐を見出すしかなく、それが周囲の同じ境遇にあった連中までを引きつけてゆき、今の姿を作り上げてしまったのではないかな。それで大国から空爆されちまうってもホント酷な話だが。 お話的にはこんな終わり方かよ……と、ドラマチック性にはちと欠けるし、作り自体もいかにも低予算映画らしく省けるとこ省いた粗い仕上がりも感じるが、その分そういう思いと、なかなかニュース映像だけでは感じられない風土や民衆の描写がリアルに伝わってくる。 画質は甘めだが、それがこの国らしい。音も同等、前半割れる お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.04.30 07:56:16
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