お引き出し…いっぱいになった時はブログりますのよっ。 <ノヽ`Д´>ノOPEN!!!
リアルなお片づけはマッタク、のアタクシですが頭の中のお片づけはマメに致しませんと気が散乱して決定しなければいけない事項に関しても滞ってしまいますのよね。 人サマに『ご返答する』と申し上げた期日が有ったりすれば尚更、ご迷惑はかけられませんのですぐさまタバコ片手にチラシの裏なんざに『優先順位』を書き留めて参ります。この作業がアタクシの場合最も重要な…大げさに言えば正念場になってまいります。もともと何かを決定する際、白黒ハッキリしているならば迷う、考えあぐねる、なんて作業はスッパリとしない性質(タチ)でございますが,“んんんんんっっ、微妙~ッ”なところで悩んでしまうわけですわね。 クロでは無いがシロでもないっっ。大体がアァタ、白と黒ってのは天と地、右翼、左翼(?)程の違いがございますのよ。 ところがアァタ、その間の色、と申しましたらもう際限なくございますのよ。光の当たり具合…要するに明度の差で。 若い頃のアタクシはソレこそ白黒ハッキリつけたい主義?で無理やりでもケリをつけて少々乱暴に生きてきましたのね。若い頃、ってのは経験値が今ほどございませんので無理矢理にでもそうやって折り合いをつけてまいらないコトには先へ進めない、って風でございましたのね。 それが近頃ではどうでしょう、“今焦って結果を重視するより、その内にスッパリ判断が天から降ってくるのを待ちましょう”となって来たのでございますわよ、先行きの尺が短くなってきたくせに(爆) これにはどうもアタクシの趣味のお稽古ゴトの影響が大きい気がしてなりません。ソレはゆる~く続けております『着付け』でございますが。 着付けを始めた当初は可愛い小紋や縞などに心躍ったものですが、近頃はついに、といいますかやはり、と言いますか江戸小紋、色無地に留めさす様になりまして^^; 江戸時代1600年半ばごろから贅沢禁止令が庶民の着るものにも及び、素材はもちろん、華美な色、柄にまでお上が口を挟む時代。それでも洒落っ気、茶目っ気たっぷりの町人は地味ィ~なお色の長着(キモノ)の裏地や羽裏(羽織の裏地)などに贅を尽くし、センスをつぎ込み、洒落っ気、茶目っ気を満足させていたようでございますの。 その地味ィ~な色合いの代表格が鼠色と茶色。と言いましても江戸時代、『四十八茶に百鼠』と言われたほどの種類の豊富さ。実際に四十八色、百色と言うお色の数ではなく『江戸八百八町』等と言い表したように『たくさん』の意味なんでしょうけれど。 しかもその一つ一つにお名前がついているってのも粋でしょ?鼠色ですと『利休鼠』、『江戸鼠』、『錆鼠』に『葡萄鼠』etc.茶色ですと『利休茶』、『江戸茶』はもちろん、当時人気役者だった歌舞伎役者の誰々が好んだ、というところで『路考茶』や『団十郎茶』等と言うのも…。歌舞伎役者サマは当時のアイドル、ファッションリーダーでございましたのねぇ。 そんな『鼠色』(白と黒の間の明度の色)の深さ、味わいを知れば知るほど“まっ、ここはソノヘンを楽しんでみるか”的な余裕が出てきたのかもしれませんわ。 イノチノベツジョウやシャカイアクで無い限り“答えを急ぐ”ばかりが解決じゃない、“答えに至るまでのお時間少々”が人として深く、も強く、も暖かく、もしてくれる良い“発酵時間”ではないかしら、とマッタリ構える今日この頃でございます。 パンもウドン種も寝かせますしね、まぁ忘れた頃に決断心が起こったり。放って置いて腐っとしたら腐るだけのモンでございましょ。 そう言えば昔、日本では“喪”のお色は“白”であったとか。それが明治の文明開化で世界水準?に合わせて喪服が“黒”になったとか言う豆知識、いかがでしょうか。花嫁衣裳が白いのは“純潔”を表すお色と、昔は白生地から色を染めて着物を誂えることから“アナタの色に染まります”って意味らしいですが…(  ̄▽ ̄)オホホ━━(≧▽ノ≦*)━━ホホホ 御免あそばせね~。アタクシやっぱり黒衣の花嫁でございましたわ。(実際は白ですが)“誰のお色にも染まりません!!!”キャハハハハッ!!(≧▽≦)彡☆バンバン そして今、やはりオットが白いタキシードでしたのが思い起こされました^m^ああ、哀れオット、純白であったために今やすっかり“溝鼠”(ドブネズミ)…江戸百鼠の中にも“溝鼠”は無かったようなf ^^ お気の毒さまでございました。年齢とともに“白”“黒”両極端の間の微妙な“鼠色”にそれなりの愛着が湧くようになってくる…コレもきっと“老人力”がついてきたってコトになるのかしら?? “老人力”だなんて人サマに言われるのだけは『まっぴら』でございますけどねぇ。( -з) フンッ!