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カテゴリ:赤川次郎さん
胸が痛む時本当にそういう音がするのだとここのところ感じます。
今まで、そしてこれからドラマが始るまで 幾度も「赤川次郎原作 セーラー服と機関銃 主演 長澤まさみ」 その文字を、その言葉を聞く度に 私の胸は心臓をぎゅっとわしづかみにされたかのように 胸が痛むのです。 基本的には・・・ 作品を見ない内から作品を批判するのはあまりよくない・・・ とわかっていながら、そこに特に商業的な事が絡むと 作品を見る前から余計に胸がずきんと痛むのです。 長澤まさみちゃんが嫌いな、ダメな訳じゃないし 何よりまだ作品を見ていない。 小泉今日子だって好きじゃないけど 女優として嫌な訳ではないし。 メディア化する事によってまた赤川作品に出逢う人が増える。 メディア化をしてはいけない訳じゃないし 赤川さんがOKを出している以上私にそれを 止める権利もない。 原作とメディア化は別物。 ドラマを楽しみにしている人には申し訳ないけれど 真剣にこのドラマに携わっている方には申し訳ないけれど でもわかっていても割り切れません。 喜べません。 私にとって赤川さんの作品というのは 自分自身でいられる存在。 赤川さんの作品が、紡ぎだされる言葉が 私の心を理屈抜きで安心させて、 そしてドキドキさせてもくれるのです。 「生きている」と強く感じるそんな作品なのです。 前の日記でも、色々な処でも散々話していますが 16歳で赤川作品に出逢うまで私は 生きる事と死なない事が違う・・・、 そんな状態でした。 そこそこ楽しいと思う事はなかった訳ではないけれど 心の中にはいつも重暗い何かがあり 「心の底から生きている」という実感などないに等しい状態でした。 心の底から笑っていなかった。 生き生きなんて言葉が一番無縁だった。 そんな場所から私の心を動かす手助けをしてくれたのが 赤川さんの作品。 今もあの時の衝撃は覚えています。 私が両親から紡がれてきた命を受け継いでこの世に生を 受けた時が最初の誕生日ならあの時が2度目の誕生日です。 本当に、理屈などではなく心から安心した。 心が温かくなった。 我慢してたんだね、辛かったね、よく頑張った・・・ そう言って抱きしめてもらえたように その腕の中で思い切り泣けた瞬間でした。 自分がこういう風に感じる事はおかしいのだろうか、と迷ったり 自分の中にある感情が何なのかわからなくて 吐き出せなくて表現出来なくて辛くて パズルのピースがぴたりとはまるように 心の感情がはまった、合ったんです。 理屈だけじゃなく、どんなに周りの人から 同じ事を言われてもわからなかった事が 体の心の隅々にまで行き渡って・・・。 感じたんです。 自分自身でいていいんだよ、 自分の心の正直な気持ちを押さえ込む「ばかり」ではいけないよ それは我侭とは違うんだよ、 何でこんなに簡単な事がわからなかったんだろう、 そんな位にすうっと心で感じました。 スポンジが水を吸収するように・・・。 当り前に出来る事程本当に感じる(わかる)まで 難しいんですね。 私は赤川さんの作品で確かに救われたのだと 赤川さんの作品に、言葉に出逢えてよかったと 一緒に生きているこの奇跡を大切にしたいと この時代に生まれてよかったと 言葉ではいいつくせない位に大切な大切な存在なんです。 作品と作家は往々にして違う事があるのはしょっちゅう・・・。 別物、という事が多くあります。 赤川さんとは集う会で「会う」というよりも 「見る」というような感じでご本人をよく 知っているとか親しいとかそんな訳ではなく でも私の受けた印象では 赤川さんご自身も赤川さんの作品と同じ 温かさ、のある方なんです。 だからね・・・ 自分の心の中にいきなり土足で何百人もの何千人もの人に 入られて蹴散らかされているような 自分の知らない処で不特定多数の人に自分の気持ちが勝手に 汚されているような、いいようにされているような、 自分の気持ちが違うものになってしまっているような ・・・そんな気持ちわかります? 私が過剰に反応しすぎている部分も多少あるんでしょうね。 でも実際そうなんです。 嫉妬もしてるんです。 私は一番のファンだから・・・なんて事思っていないつもりでも 多分思っているんだろうな。 そういう風な事を感じる人もたくさんいるのだと メディアに関係する人には 特に作り出す俳優さん、スタッフには わかってもらいたい・・・。 そして同時に メディア化してもその中のいくつもの 作品かが出来がよくないものでも 赤川さんの作品の魅力がなくなる訳でも 赤川さんの作品を感じる私の心がなくなる訳でもない それは変わらないのだと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年09月30日 22時55分23秒
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