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おいろーぱ野郎

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2004.12.05
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今夏帰省した際、NHKのアテネオリンピック朝の速報News終了後に、引き続き画面をぼんやり見ていて唖然とした。
"課外授業 ようこそ先輩" という題名の終戦記念日の朝に放送されたシリーズ番組。その画面に映る片田舎の街並みが自分の記憶になぜか引っかかる。先生として登場するジャズピアニスト山下洋輔。
20年以上前に姉から、幼少期の山下洋輔が一時期自分達の出身僻地近辺の某所に東京から移り住んでいた事があると聞いていた。しかし(逗留の時期はズレているとはいえ)よもや同じ小学校に在籍していたとは想像外だった。有名人との縁故をひっぱり回すような機会なんて殆ど転がってない自分だが、これにはちょっと驚いた。

(呼び捨てでは少しおこがましいので敬称付きにするが、)番組中、山下氏は自身の手による童話を題材に児童達に思い思いの楽器を選ばせ、Gp分けをし、各Gpの作り出す独立した即興の音(=率直に言ってノイズだった)とリズムが最終的に全Gpで調和した一つのリズムに収斂する という実験的な授業を行った。これには児童もかなり面食らったように見えたが結果的に番組は落ち着くようにして落ち着き、終了した。

数日後、日本を出る前に本を買い溜めするため、これまた僻地の幼稚園時代からの旧友と渋谷で再会した際に本屋へ入った。文庫本の棚から、かつて自分の掌を何度かすり抜けていった"ピアニストを笑え!"を手に取る。Europe、特にドイツ公演に関するエッセイをその中に見つけ、そのまま会計し、UKに持ち帰る。

pianist


山下洋輔氏と聞けば、前衛的ジャズピアニストとしての肩書きだけでなく、あの時代に特有の玉石混合芸能文化人達の醸成する、内輪ノリのきつい茶目っ気文化のことに絡む人物として、1980年代前後に多感な時期を送っていた世代の方には記憶されているだろう。まだぽっと出の眼帯をしたタモリの芸風がその文化のノリを残し、伊武雅刀がまだ役者ではなかった頃の話である。

当時この怪しい芸能人達の動向を姉がオタク的にwatchしていたため、好きでなくてもそれらのUpdateは毎日の生活にちょくちょく付きまとっていた。自分はそれらに格別の興味はなく、むしろスネークマンショーや三上寛など気味が悪いから存在しなかった事にしてくれと願っていた口である。
とはいえ眼前の刺激には無関心でいられない多感な中高生の好奇心は募る。その流れで山下洋輔トリオ等の音楽やエッセイ等にも何度か手が伸びたが、氏のジャズを聞くには幼稚過ぎる自分と、興味の浅さが災いし、それらを自分とは交わらぬものとして学生時代を終え、交わらぬ軌跡のまま現在に至った。
加えて、これら一連の怪しい芸能人達の活動の面白さが判らなければセンスが無いと烙印を押されてしまうかのような、あるいは日本人の右向け右指向のような、その当時のサブカルチャー文化の踏絵とでも言うべき 見えない雰囲気に抵抗感があったのだろう。自分の感覚とズレているものを支持するわけにはいかない。そしてズレは明白だった。同様な理由で筒井康隆の著作と言うものをいまだ読む気になれないのかもしれないが。

先日の手術に備え病室に持ち込んだ本の中からはまずこの文庫本をPickUpした。肉体的に不健康だと重いものは避けてしまいがちだ。懐かしさ半分で読み進める。

まず、氏のトリオがフリーフォームという縛りの中で互いの音を解放しながらどのように連携しあっているか、楽器が出来ない自分でもその意図する所が理解できる描写に感心させられる。しっかりとしたメロディーラインがないインプロヴィゼーションの音は往々にして苦痛でしかない。それを緩和するひとつの方法はその手法の理解だ。漫然とトリオの演奏を聞いていても判りえないその手法がこの解説によって少し明らかになった。

更に読み進め、驚いた。最初の出会いから20年以上を経た今、このエッセイに展開されるリズム、エネルギー、(ワル)ノリなどなどが、すっと自分に入っていく。どうしても好きになれないままの、湯村輝彦によるイラストレーションのこの変わらぬ装丁の新潮文庫。当たり前だが浸透圧の変化は自分の変化から来るのだ。その理由として、この10年近くの自分の生活の軌跡が、山下氏がエッセイを手がけた当時のそれと微妙に交わっていることに気付いた。

"コンバットツアー"と副題のついた国内外演奏旅行の山下氏流記録。特に興味深いのは海外編で、1975年当時の西ドイツ周辺国(ユーゴ含む)で氏が見聞きしたドイツ人とその街の断片がそう色褪せない姿で記述されている。年月を経ても大胆に変わることの無いEuropeの特徴が幸いしているお陰だろう。氏の抱いた当時のこれらの印象は自分自身がドイツの生活に初めて向き合った時のそれと大差ない事がわかり不思議な連帯感を抱く。

かつてのサブカル的踏絵も最早朽ち果てた2004年の現在、様々なエピソードの数々とその表現方法をようやく素直に笑うことが出来ることに気付く。火獣ピアノ狩り、指南を求める学生との漢文問答など山下洋輔文化圏のセンスの冴えは言うまでも無く、本業における氏のコンプレックスの吐露、巧妙にぼかして語られるドラッグ体験、疾走を止めないギラギラとした内面の熱さ、そして様々なエピソードから伝わってくる氏の他人に対する広く深い包容力。その文体と言葉には身一つで生業を立てる職業人としての開き直りと覚悟と力強さが迸り出ている。

まさにこの凄みのエネルギーこそが、"生活"というものの判らない20年前のウブい自分に横を向かせる原因となっていたのだとようやく理解できた。いまやどうだ、読んでいるとまるで氏が自分と同じ前線にいる戦友であるかのように感じる。日本の誇る世界的ジャズピアニストと一般人とを実績の面から比べることは馬鹿げているが、国外という名の同じ戦場にいれば、将校でも二等兵でも共通の困難に対峙することにかわりはない。忘れようとしてもなぜか引っかかる過去の記憶とようやく和合できた事を実感し、安堵する。自分もある意味世間並みに逞しく成長したのだと知る。

次回日本に帰省したら氏の本業の世界にも手を伸ばしてみようかと思う。山下洋輔邪頭様式の時間差確認だ。
グガングガンダパトトン、グガンダパトトン。弾ける鍵盤と共に、あの頃の日本が帰ってくる。





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Last updated  2004.12.20 21:15:34
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