5月16日
いつものペットサロン様よりわんちゃんお悔みアレンジメントのご注文で。わんちゃんのお名前からして チョコレート色のぬいぐるみピックをおまけで付けたら大変喜んでいただけました。多分、こんな感じのかわいいわんちゃんだったんだろうな、って。お久しぶりの更新ですが実はアタクシ 怒涛の1週間でした。栃木県に住む従兄弟の容体が 「もう数日」と言われ、急いで会いに行ったり母の日前の無理がたたって 背中の激痛と闘ったりおそらくさまざまなストレスからくる逆流性食道炎に苦しめられたり母の日の朝 従兄弟の訃報を受け翌日 急いで会いに行ったりお休みの木曜日は その従兄弟の告別式でもありその日の午後 火葬場にいるとき心配していた知り合いのネコちゃんが手術で命を落とした連絡が入ったりその足で東京に戻りすぐにネコちゃんのためにお花を届けたり とそして昨日は 家庭内ノラのネコちゃんを病院へ連れて行きたい人からの相談で捕獲用の網を夜なべして作ったりヒトもネコも 怒涛の一週間を過ごした濃密な日々でした。。。今日はちょっとね 雨だしね今まだお店にいるんだけど時短営業中だし そろそろ帰って少し寝ようかなって 思ってるところで。うちはうちでロンタんの腎不全が急速に進行しているようで先日の詳しい血液検査の結果が最悪でロンタんにも腎不全用のお薬 ラプロスの投薬を始めた所。。。ラプロス、飲ませるの無理かなって思ってたけどなんとかゴキゲンをとりながら ここのところ飲ませることに成功しているので急遽 昨日は 病院へ電話して行く暇がないので薬を送ってもらうことに。栃木の従兄弟の家に、とてもきれいで丈夫なピンクのバラが咲き誇っていて、それをあちこち挿し木したのも 庭のあちこちで咲いていて従兄弟夫婦はそれを「マリのバラ」と呼んでいた。昔 飼っていた犬のマリちゃんが、いつもそのバラの根元に座っていたからだと。その昔、従兄弟が飼い始めた犬に「マリ」と名付けたことを聞いたとき、私は衝撃が走ったのを覚えている。マリ。。。。。それこそ50年近く大昔、祖父母の家に柴犬のマリという犬がいた。昭和の時代の なんていうか本当に可哀想な可哀想な マリ。マリがいなくなってから、もうみんな マリのことなんて忘れているに違いないと子供心に思っていた私。私の心には 鮮明にマリの記憶が残っていたけれど。それから数十年して、従兄弟が犬を飼ったとき、「マリ」と名付けるなんていつか聞いてみようと思って ずっと聞けずにいた その名前の由来。告別式に行ったとき、庭で従兄弟の奥さんに聞いてみた。「ねぇ、マリって あのマリ?吉祥寺のおじいちゃんちで飼ってたあのマリ?」「そうよ!」って即答が返って来た。とても不憫だった、かわいそうだったマリの記憶を持っていたのは私だけではなかったんだ・・・「犬の名前がマリって聞いたとき、あのマリの名前から取ったのかなってずっと思ってた」「そうよ、あのマリよ。かわいかったよね、マリ。。。」「かわいくてかわいそうだった、、私はマリが大好きだったよ」「私もよ、大好きで大好きで、でも遠慮があって助けられなかった」「うん・・」「だから うちのマリは とても幸せにしたよ」「うん」従兄弟の家には 目に入るいたるところにマリの写真が貼ってある。もうずいぶん前に、17歳で亡くなってしまったけれど、不憫だったマリの代わりに 次のマリを幸せにしてくれた従兄弟夫婦。マリのことをずっと覚えていてくれた唯一の従兄弟。従兄弟の葬儀が終わった時、庭のあちこちに咲いていた「マリのバラ」を、1本欲しいともらってきた。挿し木して70㎝くらいにまで育っていた元気のいい株をシャベルで掘り起こして持ち帰った。マリ・・・ 忘れられない犬。知り合いが保護した 亡くなってしまったネコは横隔膜ヘルニアが悪化して悩んだ末に手術を選択したもののその術中に絶命してしまった。充分 可能性としては 想定内の出来事だった とはいえどうにもやるせないことであるのは間違いなく。そのネコはなんと二度も交通事故にあった。一度目は それで横隔膜ヘルニアになり、二度目は大腿骨を骨折した。断脚も視野に入っていた。その子を保護したやさしい人は、どうすべきかずっと悩んでいた。私もずっと相談に乗っていたから、他人事ではなかった。横隔膜ヘルニアの手術はリスクが高い。でも、呼吸をするたびに苦しいのはそれで貧血にもなってしまうのは見ていても気が気じゃなく、心折れそうになることも幾度もあったと思う。触れない子、、、無駄に興奮させては苦しくなるだけなので、手術前検査など、複数回の通院は難しく悩んだ末、いよいよ調子が悪そうだ というときに手術を決断した。もしかしたらその決断がすこし遅かったのかもしれない、もしかしたら手術しないほうがよかったのかもしれない、色々な選択肢や後悔や 感情の葛藤がある中わずかな望みにかけて手術に挑んだ。どのみち 手術しなくても、苦しいだけの時間を過ごさなければならなかったのも事実。その人は「しあわせにしたかった」と泣いた。それは 愛のある決断だから 後悔ばかりじゃあの子が浮かばれないよと私も泣いた。悲しいことが たくさん。しあわせにしたかった。みんな、その想いは 同じなんだ。命は時に あっけなく終わってしまう。だからこそ今 目の前の命を 大切にしなければ人が 人として 生まれてきた意味がないよ、 って私は思うんだよ。悲しいことが いっぱい。想いが強いほどに 涙がたくさん流れちゃうよね。マリが生きた証とチビ君というネコが頑張って生きたということをなんだか誰かに知ってほしくて。記憶に 残したくて。そしてとても激動の人生を生きた やさしい従兄弟にありがとうを 伝えたくて。合掌。