|
カテゴリ:絵画.・アート
大原邸の蔵の二階を大原總一郎氏は書斎として使用していたという。その書斎を外界から 隔てる扉の内側が今回出品されている。 キャメルに近い色の和紙の、通常の3分の2以下の小さい襖の上部に雄渾に棟方の字 で「断」と書かれている。小さい落款が左側に一つあるきりで、ただ「断」の字が二つ並んでい る。書斎に篭った總一郎氏は、中に入りし時はこれを眺め、外に踏み出す時には、この字を 破いて外世界へ出て行ったのだ。
経営者として倉紡を率いた大原總一郎氏は、戦後の繊維産業を競争力のあるものとすべ く、ビニロンの開発に心身をささげていた。棟方は、そのような氏のために「ツァラトストラは三 十才の時、其故郷と其故郷の湖とを去りて山に入りぬ。---」で始まる美尼羅牟(ビニロン)頌 板画柵を彫った。新繊維誕生へ懸ける大原總一郎氏へのオマージュである。
一方で、大原美術館の近代日本絵画コレクションが、安井曽太郎であれ、岸田劉生であ れ、その作品の質・大きさともに代表作の一つに数えられるような作品であることに見られる ように、氏の審美眼の確かさには目を見張るものがある。
経営者としての才、審美者としての才、50代の若さで亡くなった大原總一郎氏は、「断」の一 文字で断とうとしたのは何であったのか?また、志功はどのような気持ちでこの襖を描いたの だろうか?ここにも、両者の特別な交誼が見て取れる。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.10.14 08:25:34
コメント(0) | コメントを書く
[絵画.・アート] カテゴリの最新記事
|