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カテゴリ:絵画.・アート
絵金の画料は、2両であった。1両が米2表にあたる。米4表は、一年分の食い扶持であるという。よく、下級武士の禄高を言うのに、何表何人扶持という言い方をするが、その下級武士の年俸の何分の一かに当たる額が一枚の屏風絵の画であったということなので、結構な大金であったと推測される。 この画料に相当する絵を、絵金は一日で仕上げたという。 それでも、絵金への注文はひきもきらず、赤岡は廻船業等で栄えた町だったので、資力のある商人たちから、多くの注文が舞い込んだという。 また、絵金の作品は、芝居絵屏風だけではなく、神社に奉納する絵馬提灯も多く制作されたという。 赤岡町には23枚の屏風絵が残され、これは絵金の地域的な収蔵数では最多であるが、他の地区にも絵金の作品はかなりの数が残されていて、神社や寺院の祭礼の際に公開されているという。 今にも絵の中の人物が飛び出してくるような迫真の描写力、一つの画面に二つ以上の場面を入れて描かれる多軸画面構成の面白さ(たとえば、番町皿屋敷を描いた絵では、中央に悪人に責め問いされるお菊の姿が描かれるが、向かって左背面には、同時にお菊の夫が仇を討ち、それを幽霊となったお菊が井戸から現れ出て感謝しているという、時間が異なる場面が描かれ、芝居の筋が一つの絵の中に織り込まれている、といった画法)、そして、魔よけの赤! 絵金の絵を、人々は大切に扱い、今でも公開するのは、年に2日。7月の第三度・日曜日に開催される「絵金祭り」の日のみである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.03.14 22:32:20
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