昨日判ったことだが、わたしが絵金蔵を訪れた3月8日は、なんと絵金の命日だった。絵金蔵のスタッフは、毎年この日絵金のお墓参りをしていて、その様子が、下記の絵金蔵ブログに掲載されている。
http://ekingura.seesaa.net/
実をいうと、3月7日に高知へ行ったのは、ハイドシェックのリサイタル目当てで、絵金のことなどこれっぽっちも考えていなかった。それが、ホテルで一冊のパンフレットを目にし、その中に「絵金蔵=絵金の屏風絵が見れる」と載っていて、高知駅から30分ほどで行けるとあるのを見て、「あ、そうそう、高知は絵金の故郷でもあったっけ。午前中時間があるから行ってみようか」位の軽い気持ちで、何の予備知識も持たずに行ったのである。しかも、絵金についても、血みどろの無残絵を描く「おどろおどろしい」情念の画家というくらいの認識しかなかったのである。
それが、絵金蔵での展示により180度と言っていい認識の転換があったのである。そして、感動。赤岡の人々が、どれほど絵金を大切にしてきたか。そして、これからも守っていこうとしているか、ということを知った日が絵金の命日であったことは、決して単なる偶然ではなく、絵金がわたしを呼び寄せてくれたのではないだろうか。