|
カテゴリ:陶磁器
1975年のカナダでの石油取引に端を発した総合商社安宅産業の破綻は その処理にメインバンクの住友銀行をはじめとする多くの機関がかかわり 「日本経済の総力戦」とも称された甚大な影響を周囲に及ぼしたのだった。 そして、商社の破綻処理とあわせて巷の関心を集めたのは 創業家の長男安宅英一による陶磁器の一大コレクションの行方であった。 ☆ 安宅英一氏は、創業者安宅弥吉の長男であるが 会社の経営には興味を抱かず、陶磁器の収集に心血を注いだ。 安宅産業には、英一氏のコレクションのための美術品部という部署が設けられていた。 英一氏の眼は、直館力に優れ、天性の選択眼であったという。 同じ種類のものでは、必ずトップのものを追い求めたという。 コレクション中には、十年懸かりで思い続け、縁あって入手できたもの、 行住坐臥入手の方法に想をねったもの 美術商と巧みな連携を取って入手がかなったものなど さまざまなエピソードを持つ逸品揃いであるという。 現存するコレクションを見るに、国宝の油滴天目茶碗をはじめとする 東洋陶磁器の一大コレクションであり、 その審美眼の確かさに、眼を見張る思いである。 この膨大な1000点にも上るコレクションを散逸させないため 住友グループ21社が総力を挙げて買い取り、大阪市に寄贈した出来事は、 企業メセナの典型として世の喝采をあびたものである。 その後、大阪市は、このコレクションの展示のため 中之島公会堂隣に、大阪市立東洋陶磁美術館を建て 安宅コレクションの収蔵と公開を行った。 以来25年間、世界有数の東洋陶磁コレクションとして現在に至っている。 ☆ その開館25周年を記念して 9月30日まで同美術館で開催されている。 英一氏がコレクションを会社事業として行ったことについて 公私混同との批判がなかったわけではないが 会社破綻後、コレクションが自分の手をはなれた際、 「コレクションは、誰が持っていてもおなじでしょう」と、淡々と語ったそうで、 私蔵しようとして収集したわけではなく、 陶磁器という美を、たまたま手にすることの出来る機会を得た人間が この世の財産として残す事を考えていたのかもしれない。 数奇な運命の末に、私たちの目の前にあるこのコレクションを 英一氏の座右の銘「ものをして、語らしめよ」のごとく じっくりと鑑賞しようではないか。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[陶磁器] カテゴリの最新記事
|