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カテゴリ:旅
マルガレータ王女の運命は、ベラスケスの肖像画の出来がよければよいだけ 彼女の辿った人生の痛ましさが偲ばれるが。 そもそも、ハプスブルグ家の婚姻はきわめて政治的な意味合いを持つとともに、 版図と血統の維持のため、近親結婚を繰り返した婚姻でもあった。 ベラスケス描くところのフェリペ四世夫妻(と思われる)肖像画 フェリペ四世はベラスケスを深く信頼し、貴族の最高位まで彼に与えた君主だが 政治的能力はあまりなく、美術品の収集に明け暮れたという。 その后(つまりマルガリータの母)マリアーナ王妃は ウィーンのハプスブルグ家の出身 なんとフェリペ四世とは伯父と姪の間柄になるのだという。 マルガリータも夫レオポルド一世とは従兄妹である この近親結婚のためか、ハプスブルグ家の子供の大半は夭折している。 レオポルド一世の息子カール六世には跡継ぎの男子がいなかったため 長女マリア・テレジアを世継ぎとし、オーストリア大公位を継承させたが それが元で「オーストリア継承戦争」が起った。 このため、血筋を絶やして、自分の時のようないさかいを起こさぬよう マリア・テレジアは、夫フランツ=ロートリンゲンとの間の子作りに励み 16人の子をなしたことは有名である。 また、ハプスブルグ家の実質的な最後の皇帝フランツ=ヨーゼフ一世も その皇后シシィとは従兄妹同士であった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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