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カテゴリ:旅
シャルル・ペローの童話に出てくる青髭公 妻が次々に失踪、最後に迎えた若妻が 封印された部屋の鍵を開けてみると--- そこには、失踪したはずの前妻たちの無残な亡骸が--- という筋立ての「青髭公の城」 このモデルは、ジャンヌ・ダルクの盟友だったジル・ド・レェだとも この方、とも言われています。 エリザベス1世の父、ヘンリー8世 実際に6人の女性と結婚し、そのうちの2人は斬首、2人を離婚 唯一跡継ぎの男子を産んだこの女性は、産褥に苦しみ、 王子と引き換えに、この世を去った。 ハンス・ホルバイン(子)「ジェーン・シーモアの肖像」(3番目の妻) 最後の妻のみ、王のほうの寿命が尽きたので、事なきを得ている。 最初の妻、キャサリン・オブ・アラゴンとの間にメアリー王女をもうけたが 侍女のアン・ブーリンと結婚するため 離婚を認めないカトリックの総本山ローマ教皇と決別し、英国国教会を設立した。 しかしながら、ジェーンが死を賭して生んだ男子エドワード6世は 生まれつきの虚弱体質で、16歳で死去 代わって即位したのが最初の妻キャサリンの娘メアリー1世 スペイン出身の母に倣って熱心なカトリック教徒であったメアリーは 母と自分を捨てた父への恨みはなはだしく 即位するやローマン・カソリックに復帰し カソリック教徒以外の者に大弾圧を行い 「ブラッディ・メアリー」(血まみれメアリー)と恐れられることとなった。 (余談であるが、カクテルの「ブラディマリー」は、彼女に由来する。) その異母妹が、エリザベス1世 しかし、メアリーは、母と自分を追い落としたエリザベスの母を許さず 其の子のエリザベスをロンドン塔に幽閉し(母は、ヘンリー8世により斬首) 自身の命が旦夕に迫った死の床でいやいやながらエリザベスの王位継承を承認し エリザベスの代になってはじめてイングランドの混乱は収束して行った。 ☆ ☆ ☆ 閑話休題 ☆ ☆ ☆ と、まぁ恐ろしい話題に彩られたヘンリー8世の生涯であるが しかし、これらのおどろおどろしい逸話の反面 彼はイングランド王室史上最高のインテリであるとされ、 ラテン語、フランス語、スペイン語を理解し、 馬上槍試合などスポーツにおいても優れた才能を発揮した。 音楽にも造詣が深く、ヘンリー8世作曲とされる楽譜が現存しているなど 文化人としての側面もあった。(Wikipediaより) このヘンリー8世の宮廷に招かれ 宮廷画家として数々の肖像画の傑作を残したのが ハンス・ホルバイン(子)である。
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