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カテゴリ:旅
やっと、ウィーンの旅が終わりました。 実を言うと、この街がこんなに素晴らしいところだとは、夢にも思っていませんでした。 第二次大戦後のウィーンは、冷戦の東西陣営の接点 スパイが横行し、エスピオナージュの謀略戦の舞台 まんま、映画「第三の男」のイメージでした。 本当に、百聞は一軒にしかず、です。 歴史と絵画だけでも、これだけの豊穣を味わいました。 これに、ウィーンのもうひとつの魅力 音楽が加わったら、どんなシンフォニーとなるんでしょう。 ぜひ、また訪れて味わって見たい、と思いました。 最後に、ガイドさんの説明で心に残った言葉を紹介し ウィーン編を締めくくることにします。 ☆ ☆ ☆ 20世紀前半 この街には、ジークムント・フロイトが住み、「夢」の研究をし 冷戦の立役者スターリンが亡命していた。 シーレが通ったウィーン美術アカデミーに二度失敗した画学生 アドルフ・ヒトラーも住んでいた。 そして、EUの父、汎ヨーロッパ主義の提唱者 リヒャルト・クーデンホフ・カレルギー伯爵もこの町に住んでいた。 彼の母、青山光子の墓もウィーンにある。 このように、良くも悪しくも20世紀に大きな影響を与えた人々が ほぼ同じ頃にウィーンにいたというのは興味深いことである。 ☆ ☆ ☆ 21世紀を迎えた現在 これらの人々がまいた種は、 冷戦の終結、EUの成立、精神医学の発展という実りをわれわれに齎してくれている。 美しき都ウィーンとともに お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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